2024年1月1日

 世の中にはたくさんの理不尽があって、それは避けられないから理不尽と呼ばれていて、でもそんなものはあってほしくないと強く思う。それでも理不尽は起こる。
 世の中には遠い理不尽と近い理不尽とがあって、そのふたつの受け止め方は人によってまったくちがっていて、理不尽との距離感も人によってまったくちがう。
 理不尽を受け止める難しさをつくっているのは、それが小さいか大きいかではなくて、それを遠く感じるのか近く感じるのかということだと思う。近い理不尽を受け止めるのはとても難しい。
 受け止め方が難しいとき、心のなかに不安と恐怖が生まれて、それを人はさまざまなかたちで表現する。
 不安と恐怖をそのまま表現することは案外簡単にはできないから、その表現は人によってさまざまな行動や言葉になる。
 不安と恐怖はできるだけ素朴に表現したい。何かべつのものに変質させてしまうと、それはより増幅されてしまったり、それはより混乱を生んでしまう気がする。
 不安と恐怖を素朴に表現することと並行して、心配したり、祈ったり、自分を気遣ったり、深呼吸したり、ごはんを食べたり、休んだり、人への敬意を忘れないようにしたり、不安と恐怖を他者への攻撃性に転化させないようにしたり、命を守ったり、そういうことができるように気を付けたいと思う。

 1月1日に起きたことを受け止めるためのことば。

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