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青の花園

お前の世界と俺の世界。
人間は誰しも、一人一人、自分の世界を持っている。
何が普通で、何が変なのかはわからない。
でも、俺の世界が「普通でない」ことは確かだ。

「友達たくさん出来ますように!」
「………」
「俺の名前の由来。友達!たくさん出来ますように!!」
「…………うるさい。」

大学の入学式。俺と長谷は、晴れて同じ大学に入ることができた。
長谷はともかく、俺はよく頑張った。
長谷はともかく。こいつは天才だからだ。

俺はとにかく勉強ができない。
勉強をしようと机に向かい、淡々と問題を解く。
…ことはできるのだが、問題を解けば解きっぱなし。復習しない。
当たり前に、1度しか解いていない問題なんて忘れる。
つまり、勉強する量は多かれど、質がゴミ。
とにかく、ひろーく、あさーく勉強するのが俺の癖だった。

高校の定期テストの時。一生懸命「保健体育」の勉強をしていたら、長谷に「この阿呆が」と言われた。
長谷曰く、「保健体育なんて簡単な科目、授業中に勉強すれば充分だろ!」とのことだ。

なので俺は、国語の授業中に、保健体育の勉強をした。
また長谷に怒られた。
「そういうことじゃない」らしい。どういうことだ。ちゃんと内職してたのに。
ついでに、国語の教師にも怒られた。

「お前、ちゃんと勉強しろよ。もう受験生だろ。」
「あーい。なあ長谷、クレープ食べに行かない?」
「JKか!」

夏休み前、最後の放課後。
授業は4時間目まで。掃除をして終わり。
受験生のクラスメイトたちは、参考書やら教科書やら、重い荷物を持って帰宅する。
鉛のように、肩からぶら下げている。
受験生のプレッシャーは計り知れない。
親、学校、友達、自分、誘惑、遊び、疲れ。あらゆるものと戦うことになる。
学力の差がつくのも夏休みだ、なんて言ってたっけ。担任。
でもきっと、みんな夏休みの間にバリバリ勉強して、圧倒的成長を遂げるのであろう。
頑張れよーみんなー。応援してるぞ!

「お前さあ、大学行くんだろ?」
「ん?ああ。だって遊びたいし。」
「真面目に答えなさい。」
「ついでに今も遊びたい。」
「…………馬鹿か!!」

長谷は頭を抱えた。どこかの有名な動物園の熊みたいだ。少し可愛いかもしれない。なんてね。

「はあ…俺はお前が心配だよ。」

長谷のため息。長谷の癖。いつもだるそうだ。具合でも悪いのか?
黒縁の眼鏡のレンズを光らせ、珍しく長谷が俺を見おろす。
目には光が宿らない。やっぱりだるそうだ。拾い食いでもしたのか?

長谷は小柄で、俺は背が高い。
今は俺が座っていて、長谷が俺の机の横に立っているので、見おろされている。というか、表情的には見下されている?

「何が心配なんだよ。」
「主に…」
「主に…?」
「勉強の仕方。」
「勉強ノシカタ?」
「なので、夏休みは学校の図書館で俺と勉強だ。」

なに?俺は夏休みも長谷と一緒に過ごせるのか!!
楽しみだ!!お菓子持っていこう!!!
なんて思っていたが、ここから地獄のようなしごきが始まった。

まず、受験科目を勉強しろと怒られた。
そのままきょとんと座っている俺の前で、長谷は立ち上がり、顔を近づけた。
その時、俺は1学期の復習として、生物を勉強していた。
ちゃんと静かに勉強していたのに、長谷に怒鳴られた。 ちゃんと勉強してたのに。
顔の距離、3センチほど。近い近い。

「お前っ!受験科目は国語、日本史、英語!だろ!!生物勉強してどうする!!」
あ、はい。すみません。
フンっと鼻を鳴らす長谷に、また見下ろされた。
くそっ。全国の生物愛好家に謝れ、長谷!

また、ある日は
「おい」
ドスの効いた声で起こされた。長谷は声が低い。割と良い声をしているので、もし共学にいたらキャーキャー言われてたのではなかろうか。
(残念ながら、ここは男子高なので、長谷がキャーキャー言われることはない。誠に残念。)

「誰が寝ていいと言ったんだ。」
睡眠の阻害。これは人権の侵害だ!と1つ言ったら、「人権以外のこともちゃんと勉強したらどうだ」「何もできないやつほど、与えられた権利だけは立派に主張する」
「睡眠学習の意味を履き違えてるんだろう阿呆が」
と、3つも返ってきた。
もう一度返すと、今度は9つ返ってきたので、さすがの俺も口を噤んだ。

またある日、
「お前、日本史どんだけつまづいてるんだ!一生弥生時代に居ろ!」
と言われたのだが、さすがに面白くて吹き出してしまった。
長谷はもっと怒った。
長谷を怒らせるのは俺の悪い癖だけど、なんだか可笑しくて止められないのだ。

そんなこんなで、夏休みは終わり、何となく模試の成績は上がった。
夏休み後も、長谷のしごきは続く。

長谷は天才なので、勉強の仕方をよく知っている。
ちなみに、長谷は学年320人中、140位だそうだ。やはり天才だ。
長谷は、実は俺が長谷と同じ大学に行きたいことを知っている。
俺は、実は長谷が俺と長く友達でいたいことを知っている。痛いほどに。

長谷は結構ツンツンしている質だが、俺のようなトンチンカンの勉強に付き合ってくれているあたり、かなり優しい。
「お前にはこの参考書が合うと思う」なんて言って、図書館から借りてきてくれたこともあった。
あれは嬉しかった。長谷ちょー好き。

そんなこんなで、俺は晴れて、長谷と同じ大学に受かることができた。
試験結果はwebで公開された。
結果発表当日。俺は怖くて、長谷の家にお邪魔した。
「お邪魔します」と言ったら、長谷に「邪魔だ」と言われた。

画面上に自分の数字を見つけた時、冗談じゃなく涙が出た。
鼻水ズビズビのまま、隣にいる長谷に抱きつこうとしたら殴られた。痛い。
でもこれで、俺の世界と長谷の世界が交わる頻度も、今までとそう変わらないだろう。
まあ、ただ4年間猶予を伸ばしただけに過ぎないのだけど。

入学後のある日、長谷から「出かけよう」と言われた。
受験勉強が終わった今、天才の長谷でもさすがにどこかへ遊びに行きたいらしい。

で、どこに行くのか聞いたら、「鎌倉」とのことだ。なぜ?
「俺は箱根に行きたい」と言ったが無視された。もうそれでいいや。温泉饅頭食べたかったけど。

なぜ鎌倉なのか。
長谷は小学校の頃、修学旅行で鎌倉へ行ったそうだ。
大仏を見た記憶がうっすらあるそうだが、今になって、鎌倉がどんな所か、何があるのか見たいと思ったらしい。

そういうものなのか。

急だなと思いつつ、総武線快速に乗る。
長谷も隣に座る。
「………。」
「鎌倉良いよなー。大仏建立が俺の夢なんだよねー」
「………。」
長谷、安定の無反応。終始無言。鎌倉幕府も涙目。まあ、これでいい。

結局、大仏は見に行かなかった。
鎌倉駅で降り、鶴岡八幡宮で参拝。
海を見て、ボーっとして、砂浜に「長谷バカ」とか「長谷天才」とか書いて遊んた。長谷、無反応。

江ノ島行きたいなーなんて思っていた時、長谷が「寺へ行こう」と行った。テラ?なに寺?

実際行ってみるとわかった。
「長谷寺ー!!」

笑う俺を横目に、長谷は敷地へ入って行く。

「長谷寺。修学旅行の時もからかわれた気がする。」
つまりお前は小学生レベルだ、と追加される。

「修学旅行の時、確か紫陽花が一面に咲いてたんだよな。」
「へー。6月に行ったんだ。変なの。」
「天気悪かったよ。最悪だった。」
「あはは。」

滴る雨の中、青い花が咲き誇る様子を想像する。
沢山の小さな世界が寄せ集まった花。
小宇宙の集合。

単純な俺は、案外俺の持っている普通でない世界でも、集まるべきところに落ち着くのでは、と安心した。
今は、長谷の隣に居る。
長谷は、いつか彼女を作り、結婚し、新しい世界を作るのだろうか。
少し寂しいが、長谷の幸せを願わずにはいられない。

枯れ果てるまでは。

「まあ、修学旅行最終日は晴れたから良かった。確か、海も綺麗だった。」

長谷の横顔を見る。
黒縁メガネ。小柄な体躯。低い声。
男性にしては白い肌に、青は似合うだろう。

俺の普通じゃない世界に、長谷はいらない。居てはいけない。

「藤沢、俺たちは大学へ行っても、変わらず友達だ。」

珍しく、長谷が照れている。

変わらず友達だ。

「ああ。」
力を込めて返事をする。
自分を納得させるかのように。

長谷は、まさか俺が長谷のことを友達だと思ってないなんて、夢にも思わないだろう。

そんなこと、長谷は知らないし、
知らなくて良い。

想像上の、淡い、青い花園で、俺は1人立ち尽くしていた。

そこに長谷は居ない。

俺の青い春は、鎌倉の荘厳に溶けて、消えた。

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