「大好き」界にいたい

「嵐大好きおじさん」を観て、スーパーニコニコしてしまった。

やっぱり、人が自分の好きなものについて話しているのを聞くのはとても楽しい。これは話のプロである芸人さんたちが話しているから余計楽しいが、話し手のプロでなくても、人が好きなものについて語っている姿はいいものだ。

ただし、これも観ていて好ましいのは本当に純粋に無償の好意のみで、貴重なものだ。人は意識的か無意識か違いはあれどけっこう人目を気にして話題を選ぶ、自分の好みの表明も人からの評価や場の雰囲気を考えてする人も多い。

その点、「オタク」自認のある人はただただ好きなものに対して愛を捧げている人が多く(彼らにしてみると、対象物から有り余る愛をもらっているから有償とのこと)わたしはオタクの人の話を聞くのも好きだ。

オタクの人でなくも、何かを「大好き」になっている場って愛が行き交っているよね。

わたしはアラサーになってようやく自分が「好き」「かわいい」という感情を持つことがものすごく少ないということに気づいたので、「大好き」界においてはまだまだ新米なのだけど、これから死ぬまではどんどんこちらを耕していきたいと思っている。

ちなみにどういう世界にいたかというと、今思えばヤンキー映画とかヤクザ映画映画のような「かっこいい」「信念」界に生きていた。なので体は壊すまで根性見せるし、人はほとんどが敵で血が出るような努力や闘いをしなければならないと思い込んでいた。

別にVシネもヤクザ映画もほとんど観たことはないのに不思議だな。時代の空気というものだろうか。

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