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5月なんてあったか?

ここ最近頭に浮かんだことのおぼえがきです。

私の健康を守れるのは私しかいないし、肉体を3Dにしたらあまりに醜かったから筋肉をつけて老後を盤石にし、また緩みきった体を引き締めたい。

そうはいっても骨格や肉のつき方からしてウエストの相対的な細さには頼ったほうが見栄えがよいため、流行がどうなろうとも私はトップスをインしつづけるしウエストマークしつづけるつもり。

どう考えても今使っているシャンプーとトリートメントはお値段なりの効果を与えてくれないから二度と買わないほうがいい。黒髪を貫くなら髪の状態に気を配るのは必須。もっと潤わせるようなケアをしたほうがいい。

顔まわりに後れ毛があったほうが似合うと感じるけれど、これはじゃまになるし顔に髪があたるとむずむずするので実用的でない。ヘアケアとヘアスタイルの確立は明確な課題。

世界から承認される(存在してもよいという確認です)ために私は理を味方につけたい。行動に道理が通っていれば対立する相手がいても堂々と振る舞える。でも、基準とする世界の理を他人軸にしては苦しいままなので、私の思う世界とその理をつきつめていくことが必要になってくるのかもと思う。

人生へのモチベーションが下がってしまって何もやりたくない以外の気持ちがなかった。省エネでもとりあえずギリまともな生活が自動的に維持されるしくみを作っておくか、生活にかかわる各種行動を意識せずとも自動的に行えるようにするかが課題となる。

◯◯があるから来月までは生きよう、を少しずつ繰り返して、ささやかな喜びが連綿と続く人生にするのもいいかもしれない。1ヶ月とか2ヶ月先の予定を入れて、騙し騙し生きている。目先の娯楽に逃げているとも取れるけれど、人生の長さを思うとゴールの遠さにめげてしまうからこれもおそらく必要なこと。

エモがあまりに苦手。人生がポエティックに綴られているのを見ると引けてしまう。私が書いたものがポエティックに見えていたら本当にいやだ。私はポップでキュートでシュールでドライを志向している。一次創作の作風のことだったんだけれども、私のパーソナリティがそうであってほしいというものおそらくあるのだろう。

めがねをかけている時、ずれないようにか耳周りにかなり力が入っていることに気づく。購入したお店ではメンテ無償なのでもっていったほうがいいかもしれない。あるいはめがねの寿命が近いのかも。こんどめがねを買うときはもっとソフトな印象になるようなものがいい。強度近視向けのデザインはインパクトのあるものが多いけれど、いま使っているめがねはどうにも真面目な印象になりがち。私は真面目だけどそのことを周囲に印象付けたいわけではない。他人が言う「まじめ」は悪口のようなニュアンスを含むこともある。心の平穏を保つためにはもっと己をゆるナイズし、人目を気にする必要がなくなりたい。

力を抜いていてもある程度は自動的に物事が回るような状態を作っておくことが必要。滞りのことを私はものすごく気にするし、そのための損もあった。私にしか私を幸せにすることはできないのだから、もっと己の幸せに真摯であったほうがよい。人生のゴールはおそらくまだまだ遠いので、消化試合だと思うには早すぎるしつらすぎる。

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