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歩いている時だけ自由になる

人気のない場所を、あるいは人の往来を気にしなくてもよい場所を延々と歩くときの自由をあなたはもうご存知でしょうか。

私は歩くのが好きです。運転免許がないともいいます。見知った場所も見知らぬ場所もグーグルマップさえあれば迷うことはありません(道路標識と大体の方向感覚でなんとなくたどり着けるだろうと思ったら本当に無理でしたのでグーグルマップがある時代を生きることができたのは僥倖です)。とりわけ人の少ないところを歩くのが好きです。虫が苦手なので緑豊かだと困るのですが、最良は海辺として建物が多いところも人口密度が高くなければ楽しく歩けます。

これまでに行った最長の散歩は茅ヶ崎市の海岸を出発して小田原城でフィニッシュというものです。これは天気がよすぎたことと国府津が果てしなかった(新幹線に乗った時の静岡って感じでした)ことで結構つらかったので歩きすぎでしたが、波の音を聴き、なんとなく潮の香りを感じながら海岸沿いを歩き続けるとすっきりします。

なぜすっきりするのかというと歩いている時は電子機器を使用しないというのがひとつあるでしょう。スマートフォンもそうですが現状あらゆる娯楽に電子機器を使う日々です。読書も映画鑑賞もタブレットですし、ゲーム機も使いますし。歩きながらそれらを使うことはありません。ただ歩くことしかできない状態だと日頃は常に膨大な情報にさらされている脳が考えを整理する時間が取れるのか、考え事がたいそう捗ります。歩きながらできるのがそのくらいしかないともいいます。考えたいだけ考えたあとは無心になります。たぶん脳は小休止でもとっているのではないでしょうか。なお脳が云々などと書いておりますが医学には疎いですしすべて個人的な感覚の話です。

昨日、気になるアクセサリーブランドのポップアップがあったので雨のなか果てしない夢を追い続けてはいませんが、ともかく大都会へ繰り出しました。風雨にさらされるのは好ましくないものの、誰だってそうである以上はむしろ悪天候のときを狙って出かけたほうが混雑を回避できてよいと思ったためです。実際そのとおりで、誰に遠慮することもなくじっくりと見、試着し、納得のいくオーダーができたかと思います(その話は現物が届いてからするので今回は割愛します)。
で、ひと駅ふた駅くらい歩いてしまってもいいのではと思い立ち、ビルまみれの風景を冷たい雨に打たれながら(風があって傘が30%くらいは役に立たなかった)歩きました。ここ数年は世界的な感染症蔓延の影響もあり外出することを遠慮していましたが(誰に遠慮していたかというとファミリー層です。このようなご時世でも小さいころに家族とお出かけする思い出を作りやすくするためにはその層以外が引きこもっていればいいという考えがありましたので)、最近は思い悩むことも多く、考え事にだけ集中できる環境が必要でした。自宅にいると不安を増長する情報を集めてしまいがちですし。
考え事はものすごく捗りましたし、自分の価値観に基づいて後悔しない判断を下せたと思います。自由とは自分で選択できる状態であり、Aしか選べない状況での行動AとCまであるなかから選び取った行動Aでは同じ行動を出力するにしても大きな違いがあります。結果がよければまだよいものの、状況に翻弄されるようにしてたどり着いた結果が芳しくなかったら、運命は自分に味方しないのだという思いが強まることでしょう。対して自分で選択したことでうまくいかないのであればがっかりはしてもそれを糧にすることができます。考えて選び取るための時間を持つことはとても重要なのです。

自問自答ファッション講座においては(その後にリサーチするところまでを含めて)スタバで考えることが推奨されていますが、個人的にスタバとの相性があまりよくない(片手に収まる回数しか行ったことがないのにオーダーを忘れられたことが2回あるのでそういう宿命なんじゃないかなっていう気がしています)のもありますし、私の場合は屋外をひたすら歩き回ることがそれに相当するのかもしれません。リサーチは帰ってからやりますが(歩きスマホは許されざることですし、そもそもそれができる器用さを持ち合わせていません)。

ここまで考えて、「であれば私の制服にスニーカーが含まれていないのはおかしい」と思い至りました。生きることは考えることに近く、考えることは歩くことに近くもあります。生きるために歩くといっても過言ではないでしょう。通勤時はもう少しカジュアルさを抑えた靴のほうが好みですが、休日に思い立ったらどこまでも歩いていけるようなスニーカーを一足見つける必要がありますね。

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