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羊葉文庫フェアvol.2 《それぞれの語り》

PASSAGE by ALL REVIEWSで5月から始めた《海》特集では、12冊のうち11冊をお買い上げいただきました。
少し間が空いてしまいましたが、本日より2回目のフェアをはじめました。今回は《それぞれの語り》と題して、無名のひとびとの小さな声を伝える本を特集します。

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』、三浦みどり訳(岩波現代文庫、2016年)

男たちは戦争へ行き、残された女たちは無事を祈りながらその帰りを待つという、当たり前のように描かれていた戦争における性役割を覆す、ノーベル文学賞作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの代表作。戦争中に10センチも背が伸びたという少女の話に胸が痛む。

朴沙羅『家(チベ)の歴史を書く』(筑摩書房、2018年)

自分の親戚はどうやら「面白い」。そう気づいた著者は、済州島から大阪に移り住んだ親族ひとりひとりへの聞き取りをはじめ、家の来歴をたどる。「記憶によって書くことが可能になる歴史がある」という思いのもと、語られることとともに語られないことに耳をすまし、歴史的事件からはみ出る個人の経験を綴った生活史の傑作。

ジュリー・オオツカ『屋根裏の仏さま』、岩本正恵・小竹由美子訳(新潮社、2016年)

会ったことのない男に嫁ぐために少女たちは写真だけをたよりにアメリカへ渡る。不安や期待、恐れを抱いて船にのった少女たちのあるものは朗らかに生活の喜びを語り、あるものは辛い日々の苦しみを語る。歴史に埋もれ名指しで語られることはないけれども、確かに存在した「写真花嫁」たちのささやかな痕跡をしるす物語。

アーノルド・ゼイブル『カフェ・シェヘラザード』、菅野賢治訳(共和国、2020年)

ポーランドでの迫害を逃れ、オーストラリアのメルボルンに実在したカフェ《シェヘラザード》に流れ着いたユダヤ人難民たち。彼らは、リトアニア、ウズベキスタン、シベリア、上海、神戸や敦賀といったそれぞれの経路をたどり、各自が経験した苦難や救出の経緯を語り出す。あたかも、語ることが、生き残ったことの証でもあるかのように。一様でないホロコースト経験をポリフォニックに描き出す迫真の亡命小説。

藤本和子『塩を食う女たち:聞書・北米の黒人女性』(岩波現代文庫、2018年)

塩にたとえられるべき辛苦を経験すると同時に、塩を食べて傷を癒やす者たち。1980年代のアメリカ南部で、白人から差別され、黒人男性から抑圧されながらも尊厳を持ちつづけた黒人女性からの聞き書き集。ブローティガンの訳者として有名な藤本和子はトニ・モリスンやエリーズ・サザランド、ヌトザケ・シャンゲなど黒人女性文学の翻訳も行っているが、入手困難な本が多いので復刊に期待。

森崎和江『からゆきさん:異国に売られた少女たち』(朝日文庫、2016年)

本年6月惜しくも亡くなった森崎和江は、個人誌『無名通信』の名に象徴されるように名もなきひとびとの声を聞き続けた書き手だった。本作は、帝国主義と男性中心主義が重なりあう権力構造のもと、九州から海外に売られていった女性たちの生の軌跡をたどったノンフィクション。装いを新たにした文庫版では、今日マチ子による表紙画も作品に息を吹き返している。

宮本ふみ『無名の語り:保健師が「家族」に出会う12の物語』(医学書院、2006年)

地域保健福祉の現場で奮闘したひとりの保健師による実践の記録。アルコール依存、薬物依存、統合失調症など時には複合する問題を抱える相談者の言葉は必ずしも明瞭でないが、背景にある健康状態や家庭環境、社会的な疎外状況の実像にせまり、活用できるリソースは最大限動員していく。目の当たりにした状況から問題を切り分け、直ちに判断しなければならない切迫感をなぞるようなスピーディーな文体も生々しい。

村上春樹『アンダーグラウンド』(講談社文庫、1999年)

1995年3月20日、日本中を震撼させた地下鉄サリン事件。報道された氏名を手がかりに、あるいは知り合いの周辺から関係者を探すという気の遠くなるような作業を通じて、事件当事者の言葉を丹念に拾い上げた一作。冒頭では小説家村上春樹のインタビュアーとして姿勢が語られる。
「そこにいる生身の人間を「顔のない多くの被害者の一人(ワン・オブ・ゼム)」で終わらせたくなかったからだ」

永井みみ『ミシンと金魚』(集英社、2022年)

認知症を患ってデイサービスに通う老女、安田カケイ。彼女の内面の意識は、過去と現在を行き来しながら豊穣な記憶を呼び起こし、悲惨ともいえる半生をエネルギッシュに、ユーモラスにたどりなおす。昭和から令和にいたる日本社会を生き、世間の片隅で老いゆくひとりの女性に雄弁な声を与え、傍目にはみえない人生の深層を照らし出した一人称小説の達成。

今村夏子『こちらあみ子』(筑摩書房、2011年)

「応答せよ。応答せよ。こちらあみ子」
コミュニケーションが成立しない場で放たれる少女の真摯な言葉の数々はひとびとのあいだをすり抜け、どこにも届かず宙をただよう。それは電池の切れたトランシーバーでのやりとりと同じだが、それでも奇跡のかけらくらいは落ちていると感じさせられるデビュー作。本作によって今村夏子が登場したときの驚きはいまも色褪せない。

松田美緒『クレオール・ニッポン:うたの記憶を旅する』(アルテスパブリッシング、2014年)

地域に根づき、歌い継がれてきた数々の民謡には、その土地を生きた無名の記憶が込められている。深い山里の労働歌、隠れキリシタンのうた、船乗りたちのうた、ブラジルやハワイへの移民のうた。“うたう旅人”松田美緒は日本各地を旅しながら、さまざまなルーツが混在し、拮抗し、融和する多様な声を見出していく。

中井亜佐子『〈わたしたち〉の到来:英語圏モダニズムにおける歴史叙述とマニフェスト』(月曜社、2020年)

ジョゼフ・コンラッドやヴァージニア・ウルフ、C・L・R・ジェームズらのテクストを手掛かりに、文学における歴史叙述の有り様を探り、〈わたしたち〉という一人称複数形の代名詞による「大衆」の表象に焦点をあてていく。それはふつうのひとびとが連帯し、歴史の主体として立ち上がる契機である一方で、権力に操作される無力な群衆でもある。それぞれのひとびとが〈わたしたち〉に練り上げられる仮りそめのときに、どのような可能性を見出すことができるだろうか。

PASSAGEの棚にはリーフレットも置いています

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