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プレイリスト文化について思うこと

akisaiという音楽/映像ユニットで音楽を担当している鈴木です。

最近はここらへんの記事に書いてある通り、プレイリストの云々で一喜一憂しています。

ここ5年ぐらいで、Spotifyなどを代表するような音楽のサブスクリプションサービスが日本の人々にもしっかり根付いたような気がします。
そして、アーティスト側からすると各サービスの公式プレイリストに入ることが再生数やリスナー数を伸ばすために非常に重要である、ということがしばしば話題になります。
自分も上記の記事に書いてあるように、プレイリストのうんぬんかんぬんを非常に気にしています。

でも、正直ここ最近のプレイリスト文化はあまり好きではありません。
なんだか、音楽がより「消費されるモノ」になっていってる気がするし、プレイリストに入るための曲作りを意識的にしてしまったり。

というのも、普段いろいろなプレイリストを聴いてますが、どんなにいい曲があったとしてもその一曲一曲のことは気にしていないし覚えていない、つまり、自分の曲もその大勢の中の一曲でしかないと思うんですよね。
ハッとするような曲に出会って思わずアーティスト名を確認することはありますが、それでもそれっきりで忘れてしまったり。
どうせなら「ご指名で聴いてほしい」というのが本音です。

でも、面白いことに自分でプレイリストを作ってみると、その一曲一曲に愛着が湧いてくるから不思議なものです。
何十曲(時には100曲以上)も聴いて一曲ずつ選ぶんですから、当然といえば当然です。
さらに曲間や全体の流れを確認するために何度も聴きますからね。
そのアーティストのことがより好きになったり、新たな発見があったりして、なんだか今までとは違う音楽の楽しみ方を見つけた気がします。
でも、これってDJや音効の人々が古くからやっていたことなんでしょうね。

ちなみに自作プレイリスト関係の記事はこちらにまとめてあります。

でも、上に書いた通り「プレイリストのための曲」が世に溢れてしまうのはなんだかなぁと思ってしまいます。
海外では特に顕著らしく、曲は短く、イントロは短くすぐ歌に入る、リリース感覚は短くなどなど、プレイリスト対策みたいなのがあるみたいです。

ふと考えると、これって古くはクラシック音楽の形式(フーガとかソナタとか)とかと同じで、その時代の音楽文化を反映したものなのでは?

ちょっと趣は違うかもですが、その時代に合う音楽ってのがあって、ジャズとかJ-POPとかEDMとか、ある程度決まったパターンというか様式がある訳で、それになぞらえるとある程度曲の雰囲気が固まる、みたいな。

そう考えると、プレイリスト対策というのはその時代の音楽に通ずる理論や学問みたいなもので、大げさにいえば和声とか対位法ぐらい普遍性があるモノなのかもしれません。

何が言いたいか分からなくなってきましたが、要は時代によって音楽文化は変わっていくし、それに乗るも乗らぬも自分次第ということかと。

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