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我が栄養素ロックスター



どこかにも書いたけど、自分には高校以前の友達がいない、というかそう呼んでいいのかわからない関係性の同級生しかいない。
はたから見たら人間関係に困ってるように見えなかったと自負しているし、今でもどこかで会ったら気軽に話せる。
もちろん会うことなんてないんだけれど。


でもやっぱり浅すぎて遂に0地点へ辿り着く関係性しか持たない私よりも、いじめられた過去を持っていてもたった1人大切な友人がいる方が何倍も豊かだろうなと無い物ねだりをしてしまう。
素の私を知る人はこの世に1人もいないし、そもそも素がどれなのか自分でもわからない。


結局何が言いたいのかというと、こんな自分でも自分を好きだと思って生きていけてるのはその同じ境遇の存在と出逢えたからだとやっと確信できたいうこと。

今日開封したラウンジのAll Right。
新曲よりも楽しみにしていたシンタロウさんの書き下ろしコラムを読んで、私は数年前シンタロウさんに出逢うべくして出逢ったと確信した。




ロックバンドが大好きで音楽に生かされていて橋本学が人間としてのあこがれだなんて言っているけれど、それはあくまで自分がなれっこない"あこがれ"であって。
ふと冷静になった時、自分とかけ離れたその生き様とカッコ良さの裏に自分の惨めさが見えることがある。
私はこうはなれないな〜とか友達多いんだろうな〜とかどうでもいい事ばっか考えちゃう。


シンタロウさんは導くのではなく、手を繋いでくれるような。気合いを入れられるのではなく、栄養を分けてくれるような。

ん〜〜もっと適した表現が絶対あるけれど、稚拙な言葉で収めたくないほど私にとって大切な存在。


ライブではマイクを通した声を聞くことはないし、SNSで過度な自己表現をしないし、でも詩だけで十分寄り添ってくれてた。
でも彼の負の部分とそれでも私たちの光になれればという気持ちを、今回コラムという目に見えるカタチで触れることが出来たことが本当に嬉しかった。
私が出逢ったものは、信じたものは間違いじゃなかったと確信した。


そんなシンタロウさんが、気を許した人の前で見せる笑顔がたまらなく愛おしい。
涙で少し視界をぼやかせながらコラムを読み、凄まじい破壊力にやられながら笑顔を崇める深夜1:30。
眉毛は無いし声は死ぬほど低いしえげつないほどタトゥーが入ってるけど、細くタレる目とかわいい仕草そのものがもはや私の酸素。
ドラムを叩き続けてくれるだけで十分。
たまにかわいい笑顔の写真を載せてくれれば幸せ。
友達の笑顔なんかより断然幸せになれる。
ごめん、捻くれてて。



上手く言語化出来ないのはもちろんだけど、してしまうと薄っぺらくなってしまう気がする。
この大切な心情は墓場までではなく来世まで持っていく。

もちろん引っ張ってくれるカッチョ良いロックスターも大好きだけれど、ずっと側で生きてくれる優しいロックスターは死ぬまで離したくない。
あこがれとは違う優しい栄養素みたいな存在が、輝かしいロックバンドの中にもいるから安心して生きてねってことを幼稚園児の自分に教えてあげたい。

みんなも、私も、シンタロウさんも、ずっと自分を大事に大好きでいてね〜〜〜



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