ちくわぶがちくわになるまで。その5
どうもみなさんこんちくわぶ
今回は仕事の事、鬱になったことを書いていきたいと思います。
ちなみに時間は色々前後することがあります。
まず、家出から連れ戻された直後はずっと手書きの古い図面をCAD化していくという作業をしていました。
これは別に特に難しいことは無く、ゲームをしている感じ。
そして大学を正式に中退したくらいでNC旋盤を使いはじめました。
詳しい機械の説明は省きますが、要はGコードというプログラムで旋盤を動かすやつ、だと思ってくれれば大丈夫です。
この初めに使った機械は何年も放置されていて会社には直接触ったことがある人がいないという状況でした。
まずは同じ系統の機械を使っている人になんとなくの使い方を教えて貰って、最初はその人の書いたプログラムを丸写して仕事をしていました。
そしてその機械の周りをあさって、教本とかを読みながら少しずつレベルアップしていくスタイル。
人から教わるのがとても苦手なので勝手にやってました。
そして事件が起こる。
僕は全然気にしていないというか、気づいてもいなかったのですが、僕の教育係の人が僕に嫌がらせをしていたみたいで社長である父親がブチ切れたんです。
そのころは色々とわかるようになってきて楽しくてしょうがなったので難しい物が来るとキャッキャウフフしながらやっていたのですが、要はめんどくさいものを全部こっちに振ってきていたわけです。
まぁ別に気にしてないけど、と社長に伝えたものの直情型の社長はブチ切れ。
そんな微妙な空気になりながら仕事をしていると次の事件が。
教育係の人が完全にワザと機械をぶっ壊す。
金属加工の機械って水と油を混ぜたクーラントってものをバシャバシャかけながら加工をするのですが、一応精密機械なのでそれが入っちゃいけない場所もあるんです、錆びちゃったりするんで。
そうならないように、ゴムパッキンがついているんですがそのゴムパッキンが全滅。普通に仕事してれば絶対に気づくはずなんですが、そのまま使い続けていたこによってなかのユニットがドロッドロ。
ユニット交換です、600万くらい。
勿論機械には保険をかけているのですが、基本事故じゃないと保険はおりないんです。
経年劣化とみなされるものは保険が下りないのでこの時は保険はおりず。
そして前任者は、別にもうやめるんで関係ないという感じでシカト。
いくらかは請求したみたいですが。
そんでバックレてしまったんでその機械の担当は僕に。
地獄の始まり。
元々NC旋盤が二人いたのに一人になったので普通にこなさなきゃいけない仕事は二倍に。
そして引き継いだ機械は複合旋盤と言って旋盤加工いがいも加工できる有能機械。
前任者は複合加工をほぼしていなかったのに、人が変わったのをいいことに今までマシニング(言ってしまえばNCフライス)でやっていたものも勉強ためと投げてくる。
もうどうしようもなってきたので一人後輩を誘い働いてもらい始める。
でも上達していけばいくほど仕事は増えしんどさは増す。
そしてこなす仕事量が増え売上が上がってきたところで同じ機械をもう一台いれることになり、これでやっと楽になる。。。。
はずだった。
もう全然違った。
マシニングは複合で出来ることが増えたのをいいことに楽になるため全部こっちに仕事をふってきたのである。
二台あるんだから出来るっしょ?
一台で最後まで出来るんだからそっちでやった方が早いっしょ?
と。
今だったら普通につぶすんだけど自分は勤務歴が下から二番目でほかの機械の知識もなかったため反論ができずずっと一人休まずに働いていた。
そして父親の死である。
強くあろうとしていた自分はひたすらに仕事をし、みんなが連休で休んでいても一日平均睡眠時間3時間ほどで働き続けていた。
ちなみに五連休で睡眠時間が合わせて八時間とかもあった。
寝れなかったとかじゃなくてそのくらい働かないと終わらなかった。
そして当然のようにぶっ壊れた。
他の人の症状はわからないけど、鬱の時って弱っている自分と、強い自分がいて、常に弱っている自分を強い自分が攻撃し続けるんですよ。
もう体力の限界で休みたいと思っていても、強い自分がまだやれよ、お前は後継者なんだから働いて当然だろ、と言ってくる。
一番きつかったのは
父親が死んだのにお前はクズのまんまだな
っていう声
幻聴が聞こえるとかではないけど、自分の中の気持ちが攻撃してくる。
元々絶対間に合うはずがなくても、お前がサボったから間に合わなかったな。やっぱりクズのままだな。
と
その時は初めてやるものが多く、失敗も何度もする。
経験が浅いものだから出来るものと出来ないものの判断もつかず、夜中に一人で何度絶望したかわからない。
でも、救いもあった。
当時は気づけていなかったけど、納期を調整してくれたり失敗したのを文句も言わずにやり直してくれていた人もいた。
今なら最初から助けを求めていれば良かったのにとは思う。
だけど、完全無欠になりたかった自分には助けを求めることすら嫌だった。
そして一度仕事の波がおさまった時に完全におかしくなった。
まったく眠れない、朝が怖くて眠れない。
自分を認識している人と会えない(普通に外出するのは平気)
そしてその当時同棲していた彼女(今の奥さん)に精神科に行った方がいいと言われ精神科へ。
結果は余裕でぶっちぎりの鬱。
静養して薬を飲めとの指示。
え?俺が?鬱なの?
でも鬱と診断されて救われた部分も大きかった。
ガチだったらクズだけど、鬱じゃしょうがいないかー!
と開き直ることができた。
そして鬱と診断されて気が楽になってまた仕事をし始めた。
みんなと顔を合わせるのはやっぱりしんどかったので、みんなが帰る夜の九時からみんなが来る朝の七時まで。
しんどくなってきたら、鬱なので無理っす。と言って休む。
社長が母親だったいう事もあり、そこらへんは普通にやらせてくれた。
まぁ病院に全然行かなくて診断書貰えなかったから、行けなかった時は普通に給料くれなかったけどw
そして鬱の症状は気が付いたら治っていて、普通に生活できるようにはなっていた。
ただこの時代の後遺症で寝るのはいまだにちょっと苦手。寝るより起きてる方が数倍楽。
今現在は夜になればちゃんと眠くはなるし、夜勤を挟んでもそこまで影響を引きずることもなくなってきたからもう大丈夫だとは思ってます。
今思い返せばすげぇしんどくてやり直したくはないけど、誰にも頼らずに一人で全てに立ち向かって玉砕しまくっていたおかげで技術もみんなより早く進歩することが出来たし、鬱も気づいたら治っていたし、結果オーライだとは思ってます。
全然オススメしないやり方ではあるけどw
あと、鬱についてかなり軽い感じで書いてしまったので、鬱で悩んでいる人を不快にさせてしまったら申し訳ないです。
ただこんな感じで楽になったバカもいるんだよ、と思ってくれればと思います。
次回から書くことちょっと今は思いついていないですけど、ちょっと考えてから書いていこうとおもいます。
では今回はここまで
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