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関西AutoCADユーザ会 / U2さんを偲んで

今となっては、この会が本当にあったか、この名前だったか、夢のようでもあります。ただ、このユーザ会がなければ、またそこでの出会いが無ければ、私はその後のCADのキャリアを積むことはできませんでした。

1980年代の後半、パソコンCADが世の中に出てきました。当時、会社には、スーパーミニコンに載ったMEDUSAという3次元CADがありましたが、実務の機械設計に使えるレベルではありませんでした。そこで、パソコンで2DのCADはどうかと調べ始めておりました。

そのころはパソコンCADと言えば、マイクロCADAMが機械設計では良く使われていました。これも調べたのですが、まあまあ高価というのもありますが、カスタマイズが出来ません。MEDUSAにはBasicライクな言語のカスタマイズ機能があり、とても重宝していたため、CADにはカスタマイズ機能が必須と考えていました。

AutoCADというのが、価格もまあまあ、AutoLispというカスタマイズ言語が付いているというので、これがよさそうと稟議をあげました。ところが、マイクロCADAMを買わせたい人もいて、面倒くさい状況になっていました。

そんな時、大阪でAutoCADのユーザ会のイベントがあると聞き、参加しました。イベント自体の中身自体は正直よく覚えていません。「CADは老眼に優しい。」と講演したご年配の人の話くらい。

会が終わった後、「田中さんというかたはいませんか?」と呼ぶ方がいました。それが、U2さんでした。そのまま、U2さん他何名かの人と親しくなり、AutoCADの事を勉強できました。で、その会の名前が「関西AutoCADユーザ会」

なぜ、会の名前に関西が付いているかというと、東京にもAutoCADユーザ会があったからです。そっちのユーザ会の運営が○○だったからのようです。権威に阿ることのないU2さんらしい話です。

AutoCAD GX5 が出た頃、やっと稟議がおりました。その時にはU2さんの会社を訪ねて、いろいろと教えてもらいました。

AutoCADユーザになった後も、オンラインではニフティサーブのAutoCADの会議室の常連になり、オフラインでは関西のユーザの会社でユーザ会をしたりしてで、今思えば、楽しい時期でした。

私がオートデスクに転職するときも、U2さんに相談にのってもらいました。「あの会社、年功序列で、すごい封建的な会社だから気をつけんとあかん。知らんけど。」と真逆の事を言って励ましてくれました。

その後、ユーザ会活動もオートデスク社が主体を持つようになったこと、当時のアクティブメンバーも実務でCADから離れるようになったことなどから、関西のユーザ会もフェードアウトした感じになりました。

U2さん、その後もCADはもちろん、様々なことに積極的に関わり続けておりました。昨年の秋に会ったときは、思いがけず、Fusion360のジェネレーティブデザインの話で盛り上がりました。あの好奇心はどこから来るのかと、いつも驚かされます。

そのU2さんの、突然の訃報(2023/03/18)に、まだ呆然としています。

本人の無念さを思うと残念でなりません。
なので、私は私なりに彼の目指した社会の実現を目指そうと思っています。


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