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常識を疑うというか、今一度考え直してみたいこと

いくつか書きたいことが溜まったんだけど、とりあえずこちらから。

ちょっとタイトルが激しくて、「ウッ」となる方もいると思う。
いつかの動画で「こういう方が再生数が伸びるから、仕方なくやってる」みたいなことを言ってた。

今回はこのマコなりさんという方の動画について、ちょろちょろと思ったことを書こうと思う。

この動画では、日本(ないし世界)に蔓延している10の価値観について、「それが常識だと思い込み続けるの、やめない?」と問題提起をしている。
是非動画を観てほしいが、その10個とはこちら。

①結婚は幸せ 離婚は不幸
②学生時代の友達は大切にしろ
③人脈を増やすと良いことがある
④転職するのは負け組
⑤目上やお客さんへの過剰な礼節
⑥飲みニケーション
⑦1日3食食べるべき
⑧贈り物 年賀状
⑨努力すれば人は変われる
⑩死ぬことは悲しいこと

全てを通して、マコなりさんは
「これは議論の提起であって、この価値観を持たない人は悪だと言いたいわけではない」
「思考停止してこの価値観をただ受け入れているだけなら、一度考え直してみても良いのではないか」
というスタンスで問題提起をしている。

特に⑩なんかかなり激しいよね笑。
実は私自身は、総論では10個ともほぼ同意というか、納得しているのだが、各論部分では微妙に違うなと思うこともある。だから別にマコなり信者というわけでもないし、他の動画で言ってることで「いやあそれはさすがに受け入れられんなあ」と思うこともある。
(こういう話、丁寧にこういう前提入れないと世に発信しにくくなってるの、正直めんどいなと思ってる。仕方ないけど)

学生時代の友達は大切にしろ

さて、この中でいくつか思うことを話す。まずは「学生時代の友達は大切にしろ」から。

これ、「学生時代の友達」はいくつか言い換え可能で、例えば「新卒入社の同期」も該当するだろうし、まぁやや乱暴に括れば「旧知の人」ということだ。

これ、今所属している会社がちょうどそうで、私の同期は仲が良くない。なんだかよくわからないが、私を除く同期がちょうど男女で対立をしていたり、それでも個々人が「派閥」として見られるのを嫌った結果派閥内の同期を軽く扱うような発言をしたり、いちいちつまらんことで変な空気感になっていた。

私はというと、そういうのがあまりにも嫌い過ぎたので誰にでも味方し、しかし同調しすぎないような距離感を維持していたので、入社早々から「同期のみはyoが主催した場合はやるかも」というのが同期内の暗黙の了解になっていた。なお、一度も主催したことはない。
私はこういう態度を取ることがままある。ズルいと言えばズルいので、これを快く思わない人もいるだろう。

話を戻すと、こういう同期関係であるというのが前提で、本題。
他の社員と話をしている時、わりと頻繁に出る話題がある。

「同期で飲みに行かないの?」
「同期なんだからってことで知らないの?」

といったかんじ。これに、「いやーそういえばいかないですねえ」とか「知らないですねえ」とか答えると、私の「同期への興味のなさ」がよく伝わってしまうのか、
「同期は大切にした方がいいよ。同僚は今後増やせるけど、特に新卒の同期は一生に一度だし」
といわれる。

確実に思考停止だと思う。
いや、一応意図はわかるんだ。新卒同期という関係は「初めて社会に出たタイミングで、お互い一緒にわたわたした仲」ということでいわば幼馴染に近い「お互い知ってる感」があるし、仕事上の利害関係が少なくなっても、いや少なくなったからこそ「新卒同期」というだけで集まって話ができる。そういうコミュニティは貴重だよ、ということだ。

言ってる意味は分かる。だが、悲しいことに合わない人も大事にせよ、というのはさすがに不思議なことだと思う。合わない人と無理に仲良しごっこをするのは私は苦手だし、本質的にはコミュ障なところがあるので、無理に笑顔を振りまいていると向こう3日ほど再起不能になるくらい疲れる。

そんなコストを支払って得られるのは、「新卒同期というチャネル(好きじゃない)が維持できている」という事実だけだ。

動画内では「古い価値観に再び染まるだけ」みたいなことを言っていたが、ある意味私はそういう点での古い馴染みは大事だとさえ思っている。自分の変化を相対的に確認できるからだ。その意味では会う頻度なんて数年に1回で十分だったりするわけだけど。

ただ、そもそも合わないのに、形式的な関係性が貴重だからというだけで大事だと言われるのには、それはどうかなあと首を捻らざるを得ない。

目上やお客さんへの過剰な礼節

これもそう。まあお茶なんかは個人的にはもらえたらラッキーくらいにしか思わないのでありがたいが、動画内で言ってる「会議中にお茶が来るのはカラオケのサビでドリンクが来るのと同じくらい萎える」みたいな喩えがなるほど過ぎて笑ってしまった。

そう。せめて会議が始まる前にペットボトルでぽんと置いてくれ。その場で飲まなきゃ持って帰れるし。衛生面の心配もないし。最も効率的で誰も悲しまないシステムだよね。ペットボトルを渡すのが。最近はそういうところも増えてるのだけど、未だにお茶を入れて出しているところがあるとすれば、その仕事要らんくないかい、と思ってしまう。

あと、礼節周りで最近よく聞くのは、「自分はいいけどまだ社会には旧世代の企業も多いから」という理由付けで結局目下に気を遣わせるパターン。新人教育の中で実施するのはまぁ良いと思うんだけど(特に客を相手にする仕事ならなおさら)、新人教育が終わった後も結局ダラダラと継続してしまうと、「俺らはそういうの気にしないけどね」というスタンスが逆に毒になるのよ。
「ああめんどくせえから様式に従っとけ」と目下は思うし、中堅は様式に従っていない目下を見るとどうしてもソワソワしてしまうし、でも目下がしっかりとそれをこなすと目上側は「俺は別にしなくていいって言ってんのに、柔軟性のない奴だなあ」と評価してしまう。無駄なネガティブサイクルに陥ってしまう。

これを改善するのにおそらく良いのは、「新人教育が終わった後も結局ダラダラと継続してしまう」ことをやめる、だと思う。
具体的には、「新卒は入社から半年の間は絶対遵守だけど、半年経ったらきっぱり気にしなくて良いことにする」みたいな明確な期限を決めて研修を行うとかがいいかな。どうですか各社人事の方々。「そうは言っても半年で身につかない人もいるから……」って思ったでしょう。あなたはその新人の親ではないのです。

死ぬことは悲しいこと

一回これについてばあああっと書いたんだけど、ちょっと考えがまとまらなくて、誰にも言いたいことが伝わらずに最悪炎上するみたいな未来が見えたのでちょっと書くの控えるわ。

でも、とりあえず私の中にある仮説だけ置いておこうと思う。

人の死が悲しいのは、「もう生きられないからとかではなく、その人が現世でやり残した未練があると知っている、ないし容易に想像できるから」じゃないか。
そうだとすれば、もう未練がなく、満足して死を迎える人の死は悲しいものではなく、「お疲れ様」と言って穏やかに見送るものになるんじゃないか。

まぁもちろん、「お前がどう考えてようが関係ねえよ! 俺はお前ともう一回酒が飲みたかったのに、なんで先に死んじまうんだよお」という自分本位の悲しみ方もあるし、それを否定する気はかけらもない(私自身がそう思うこともあるかもしれない)。


さて、ここまでの話で「yo、それは違うだろ」と思った方もたくさんいることと思う。その気持ちは大事にしてほしい。反論コメントくれても良い。でも誹謗中傷はやめてね。

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