勧善懲悪勘違い

弱者の立場に立って"強者"に対抗する姿にワクワクする方も多いだろう。

たった一人のヒーローが、巨大な悪の組織に立ち向かって陰謀を暴く。強者の悪事を白日の下に晒したり、直接手を下して屈服させたり。そういった姿は昔から「勧善懲悪」というジャンルとして確立してきた。
これ自体は良い。見ていてすっきりする。

半沢直樹なんかもそうだし、Marvelのヒーローたちもこの構図の中でヴィランと戦っている。

だがこの構図がさらにエスカレートし、強者と弱者の関係があるかも怪しい、"強者"側が何か悪事を働いているかも怪しいような相手に対して、「弱者(自分)は虐げられている」「弱者は正義の戦いを挑んでいる」と信じ込み、他者を攻撃している人がいる。

現代のSNSフェミニズムに染まり、女性のおしゃれを「男に媚びるための手段としてのおしゃれは差別を助長している」と糾弾する人。
学歴の高い人に向かって「○○大出身のくせにこんな仕事もできないの」と嫌味を言う人。

他にもいろんな人がいる。そういう人たちの心の底には思想的信念も体系的なデータもなく、ただただ自分の持っていないものを持っている人をねたみ、自分の苦しみをほんの少しだけ癒したいだけだったりする。

自分の苦しみや悲しみを直視できず、周囲を羨み、その気持ちが妬みに変わるのはもちろん人間的に理解はできる。しかし、実際にそうやって敵を作って攻撃をしてはいけない。

ただ、こういう人に「それは攻撃だ」「いじめだ」などと言っても、なかなか通じなかったりするのだろうなとも思う。
彼らは自分の行動が相手に大きな不快感を与えていることに致命的なまでに無自覚だからだ。

自分の行動・発言は大した効果がないと思い込んでいる。
相手が自分の言葉に影響されていない(行動を変えていない・同意してくれない等から判断する)から、「この程度でいじめだなんて」と信じられない。

厄介なものだ。

本当は「じゃあどうしたらいいか」とか、こういう人たちの具体例とかいろいろ挙げたいところではあるのだが、まとまった文章を書く習慣がなさ過ぎて疲れてきたので今日はここまで。

日記みたいな感じで続けられたらな、と思う。

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