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本気だな、と感じる発言の特徴

年明けてから全然更新してなかった。

今回は
他人の発言に対して人が「本気」を感じる瞬間には、必ず一定の否定が入ると思っています。
という話。

なんでそんな話をしようと思ったかって話があまりできないのだが、ふとそんなことを思ったんよね。
散歩中にふと心に「人はどんな発言を信頼するか」という問いが生まれて、最初に立った仮説が「否定を伴うもの」というものだった。

本気を感じる否定的表現例

よく酒が入ると人の本性が出るとか言うけど、
あれは、酒が入るとネガティブな話(悪口とか何かの批判とか)が出やすいからだよね。
これ、人々の認識の中に、「ポジティブな発言を意識的に控えるより、ネガティブな発言を意識的に控える割合が高いだろう」という意識があることから来る感覚だと思う。
どう? みんなのイメージと一致するかしら。

また、少し親密度が上がった相手に誰かの悪口を言いたくなってしまう、
あるいは「ちょっと仲良くなったと思ったら急に愚痴っぽくなる奴」と遭遇したよって人もいると思う。
これは「私はあなたを信頼している」ことを示したいからだったりするよね。

本気を感じる肯定的表現例

ただここで、「じゃあポジティブな発言は全くダメか?」という疑問が出てくると思う。

個人的には、そんなことはないと思っていて、かつ、さっきの「一定の否定が入る」という仮説を補強するような理解も可能だなあと思っている。

例えば、こんな発言。
「私はこれが1番好きだ」

なぜこれに否定が含まれるかというと、
「これ以外は2番以下だ」という含意があるから。
他のものと比較して序列をつけている時点で、2位以下のものは少々否定されている。

他にも、
「○○はこうだから良い」
みたいな発言にも、○○以外は「こうではない」ということをどうしても含意する。

なぜ人は否定に本気を感じるのか

「否定を伴う」という仮説でここまで考えてみたけど、もちろんさっき思いついて簡単に検証してみただけなので、反証はまだまだ可能かもしれない。ぜひ、反証例が出せそうだったら教えてほしい。

なお、今回は「否定を伴う」という表現を使っているけど、ここに人々が本気を感じる理由の本質的な部分っていうのは、「否定」というよりも、「その発言によってリスクを取っている」ということなのかもしれないな、とは思っている。

「他を否定しているから信頼できる」とかあんまり思わないもんね。

ということで。今回はこれくらいでばいばい。

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