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「無宗教」市営墓地を訪れて感じた違和感

市営墓地

とあるきっかけで、市営墓地を訪れました。
そこで感じたことをまとめてみます。
自治体が運営する墓地は全国各地にあると思います。その市町村に住んでいれば、誰でも納骨でき、宗教・宗派不問。私が訪れた市営墓地は、合葬墓であれば、永年でも20,000円という破格です。その安さが理由なのか、利用者は年々増えているようです。

新聞記事によると、
「2005年度に236件だった永年納骨の件数は、10年度501件、15年度852件、20年度1293件と年々増加。」
15年の間に5倍に増え、収蔵スペースが間もなく満杯になるそうです。

敷地内は整備され、トイレや自動販売機、集会所、駐車場もあります。
一見、整っていますが、大きな違和感を覚えました。

信仰のない世界

私の感じた違和感は、
お墓という、死と向き合う特別な空間で、仏さまが不在
ということです。信仰のない、無機質で、殺伐とした世界でした。
私は、信仰のある世界に当たり前に生きていますが、信仰のない世界というのはこんなにも空虚で落ち着かないものなのかと感じました。

そして、仏縁を結ばずに一生を終えて行く人がこんなにも多いことに愕然とします。大袈裟だと言われるかもしれませんが、無宗教が広がっていく日本の未来を想像してしまいます。墓地では「宗派不問」を前に出す風潮がありますが、その先にこんなに殺伐とした世界が待っているのであれば、果たしてそれは良いことなのでしょうか?

誰に手を合わせるのか問題

市営墓地に行けば、手を合わせる対象は故人なのでしょう。しかしながら、故人が死後どこへ行ったか分からないのに、手を合わせるということがとても不自然に感じられました。浄土真宗で言えば、故人が必ず極楽へ往生しているのだという信仰があるから、阿弥陀様と故人に向かって手を合わせるのです。その信仰がないということは、人をとても不安にさせるはずです。

お坊さん方には特に、ぜひ一度、公営墓地を訪れてみることをオススメしたいです。なぜなら、世の中にはこれ程に無宗教を選ぶ人が、おそらく右肩上がりに増えていくのだという危機感をひしひしと感じるからです。仏さまとつながった世界にどっぷり浸かっている日常から離れてみると、その世界ほんの一部に過ぎないことに気付きます。仏さまのいない世界に行ってみると、やっぱり何ものにも変えられない大事な存在だと改めて気づきます。





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