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浄土真宗のお坊さんとは?

「お坊さん」と聞くと何をイメージしますか?

・ツルツルの頭?
・滝に打たれる修行?
・『日本昔ばなし』に出てくる徳の高い和尚さん?
・木魚(もくぎょ)とお経?

浄土真宗のお坊さんは、
他宗とはちがう特徴があります。

私は浄土真宗のお坊さんなのですが、
一般的な「お坊さん」のイメージとは
随分違うと自覚しています。

なので、
「私、お坊さんです」と
自己紹介するのが億劫(おっくう)で、
お坊さんというジャンルに分類されると
居心地の悪さを感じます。

私は、
そんな高尚じゃないし、
煩悩のかたまりだし、
心の中はモヤモヤしてる。

今日は、
浄土真宗独特のお坊さんスタイルについて書いてみます。

特徴1 修行をしない

言いにくいのですが、
浄土真宗にはいわゆる修行がありません。
朝4時に起きて、掃除して、お勤めして、座禅して、質素な食事して・・・
みたいな修行はしません。
「修行がない」と言うと、
「なんや、お坊さんやのに修行もしてへんのか」と
思われそうですが・・・


特徴2 煩悩をなくそうとしない

煩悩との向き合い方が独特です。
他宗では、煩悩を消滅させるために修行を重ねます。

一方、浄土真宗では、
「この世の命終わってから成仏する」
ので、煩悩は死ぬまで消えません。
だから、煩悩を消滅させよう!ではなく、
「私」の煩悩に気付いて阿弥陀如来に頼りましょう
となります。


なぜ浄土真宗は独特なのか?

浄土真宗のお坊さんが「お坊さんぽくない」のは
なぜなのでしょうか?

日本仏教は、
聖道門(しょうどうもん)と
浄土門(じょうどもん)の
2つに分けられます。

前者は自力で修行をする聖者のための教え。
天台宗や真言宗、禅宗などです。

一方、後者は自力で修行できない凡夫(ぼんぶ)のための教え。
浄土真宗はこれです。
自分で修行できないから
阿弥陀如来を頼って極楽へ往生するのです。

親鸞聖人は
9歳で得度し、20年間比叡山延暦寺で厳しい修行を積まれました。
けれども、どれだけ修行を重ねても煩悩が消えることありませんでした。
悩まれた末、比叡山を下り、
法然上人の弟子となって浄土門に入られることになったのです。


いかがだったでしょうか?
浄土真宗のお坊さんを見かけたときは、
「あ〜だから、お坊さんぽくない(俗っぽい)感じがするのね」
と理解していただけたら嬉しいです。

私は、お坊さんになりたての頃、
修行がないことを後ろめたく感じたものです。
苦労せずに「何者かになる」ことに戸惑いがありました。
まだまだ道半ばですが、
「他力で救われる」という教えの深さを
少しずつ味わっているところです。

最後に蓮如上人の御文をご紹介します。

まづ当流の安心のおもむきは、あながちにわがこころのわろきをも、また妄
念妄執のこころのおこるをも、とどめよといふにもあらず。ただあきなひを
もし、奉公をもせよ、猟・すなどりをもせよ、かかるあさましき罪業にのみ、朝夕まどひぬるわれらごときのいたづらものを、たすけんと誓ひまします弥陀如来の本願にてましますぞとふかく信じて、一心にふたごころなく、弥陀一仏の悲願にすがりて、たすけましませとおもふこころの一念の信まことなれば、かならず如来の御たすけにあづかるものなり。このうへには、なにとこころえて念仏申すべきぞなれば、往生はいまの信力によりて御たすけありつるかたじけなき御恩報謝のために、わがいのちあらんかぎりは、報謝のためとおもひて念仏申すべきなり。これを当流の安心決定したる信心の行者とは申すべきなり。あなかしこ、あなかしこ。

蓮如上人 御文 1-3

最後までお読みいただきありがとうございました。
素敵な1日をお過ごしください。

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