めぐる。

 ごろんと寝返りを打って、下着をつけていない無防備な胸に違和感を感じる。試しに横から押してみると、ふわっとした中に固い板チョコが入ってるような感じで、そこから鈍い痛みがじんわり溢れ出している。ああこれは今日中にくるな、と思いながら、もう一度目を閉じた。

 時計の針が進んでいく音がする。進んでも進んでも、結局は同じところへ戻っていく。

 ここ数日の自分を思い出して納得する。スキンケアは変えていないのに突然、顎に面皰が二つもできた。こまめにリップクリームを塗っているのに、唇がひび割れた。一人でいるときに話しかけられると無視したくなった。友だちからの連絡も全て、面倒くさくなって返さなかった。夜眠ろうとすると、嫌な記憶ばかりフラッシュバックして涙が止まらなかった。

 かち、かち、かち、と時計は進む。今は何時だろう。まだ足音は聞こえない。ドアの外で彼女が起き出した音はまだ聞こえない。

 目の前に置かれたスマホがぶるると震える。私はまた、勢いよく寝返りを打った。布団に打ち付けられた板チョコがびりりと痛んだ。

 人の痛みなんてわからない。わかろうとも思わない。わかってほしいとも、思わない。


 中学校の入学式前日、私は初潮を迎えた。トイレに行って、パンツが赤黒く染まっているのを見て何も考えられなくなった。ただ便器に腰掛けてはらはらと泣いた。ぽたぽたと血が伝った。トイレットペーパーをくしゃくしゃにして血を拭ってみたけれど、何枚使っても止まらなかった。しまいには手のひらにもじっとりと付着したその匂いが、永遠に取れない気がした。

 コンコン、と響いたノックの音で我に返って、母親に事情を説明した。小学校で習った生理というやつが私にも起こったのだと、言われるまで気が付かなかった。こんなに怖いことが誰の身にも起こるんだと、世界中の女の人を尊敬する気持ちだった。

 入学式が終わって教室に向かう前にトイレに行った。生理用品は持たされていた。和式のトイレに跨って、パンツをおろしてしゃがむと、朝、ニ時間ほど前に取り替えたナプキンは端から端まで真っ赤に染まり、パンツの上に履いていた黒パンまでぐっしょりだった。おまけに初めての制服の長いスカートは床についてしまって、私はどうしたら良いかわからず涙が溢れ出した。その間も血は止まらない。スカートの裾が血で染まっていく。体育館の裏の古いトイレの一番奥ですすり泣いていると、ドアの外から声がした。

「どうしたの?」

知らない声だった。甲高くて、頭の悪そうな声だった。入学式で私の名前を呼んだ、かっこいい大人の女性の代表みたいな担任の先生じゃなかった。私は少し、がっくりした。

「あれ、がきたの?」

あれ、って何だろう。私は泣くのをやめて少し考えた。血の匂いがするスカートの裾をたくし上げて、まだ取り替えられていないナプキンをくしゃくしゃに握りしめて、ただ無言で蹲っていた。

「こっちの洋式トイレに来なよ。やりやすいよ」

ああ、あれ、って生理のことか。むせ返るような血の匂いに包まれて、私は目眩を感じていた。くらくらする。気持ち悪い。怖い。気持ち悪い。

「どうしたの?大丈夫?」

彼女が何か言っている。バタバタと足音が聞こえた。行っちゃうの?一人にしないで。怖いよ。頭が痛い。臭いの。血が止まらないのよ。教室に行かなくちゃいけないのに。

「先生、こっち」

「あら大変、すごい匂いね。換気しなくちゃ。大丈夫?」

大人の女の人の声がする。さっきの担任の先生だ。風の音がして、充満していた匂いがすっと消えていった。ノックが聞こえて、私は小さく、はい、と返事をした。

「鍵を開けてくれる?」

言われるがままに鍵を開けて、私の悲惨な状況を新しい担任の教師に晒してやった。先生は優しく微笑み、その後ろで制服を着た彼女が目を逸らした。

 そのあとは恐らく着替えでもして教室へ向かったのだろう。恐らく、というのはほとんど記憶にないからだ。なぜかその担任に学級委員に指名され、また、先生を呼んでくれた彼女はその日からクラスメイトとなったのだが、私の中学の入学式の記憶はあのトイレで嗅いだ血の匂いが全てだ。


 もう一度寝返りを打った。すると、ドアの隙間から光が漏れていることに気が付いた。もう起きたのか。彼女とはあれから微妙な緊張感をもって接していた。特に仲が良かったわけでもない。ただのクラスメイト。奇妙な関係が続いて、なぜか今ではルームメイトになった。でも、ただそれだけだ。

 痛みなんてわかるもんじゃない。期待するだけ無駄だ。それでも、手を差し伸べてくれる人だっている。

 ばたばたと準備をする足音が聞こえる。私はそれを自室でひっそりと聞いている。しばらくして音が止んだ。時計が、かち、かち、と戻っていく。よっこいしょ、と体を起こして立ち上がると、心の奥がどろりと抜け落ちる感覚がした。

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