Alones
小学生のとき仲の良かった奥村という男はAqua Timezが好きだった。Alonesという新曲が出たとき、サブスクなんてない当時、奥村は買ったCDを小学校に持ってきて「Alonesは”ひとりぼっちたち”という意味らしい」と俺に向かって曲のタイトルを説明をした。英語と文法の知識がある今でこそ、Alonesなんて言葉を聞けばそんな英単語は存在せずおそらく造語であると推測できるが、当時はaloneという英単語の意味も複数形のsも、そもそも形容詞なんて概念も知らなかったから、ただ純粋にへえと思った。そのあと曲を一緒に聴いて感動したとか、そんなことは特にない。それどころか私は未だに一度もAlonesを聴いたことがないし、このnoteを書くのに聴いておこう、書きながら聴くとしよう、書き終えたあと聴いてみよう、とも別に思っていない。とはいえ逆に絶対に聴かないと誓っているわけでもなく、ただ無関心である。でも、あのとき奥村が言った「ひとりぼっちたち」という言葉は、とても良いと思う。ふとしたときに思い出したりもする。「ひとりぼっちたち」。
草野心平という詩人がいた。と書いたものの、この人がどれほど有名なのか知らないから困る。まあ知ってる人は知ってるわと思ってください。彼は蛙をテーマにしたり、蛙になりきったり、とにかく蛙に関わる沢山の詩を書いた。蛙の言葉で詩を書き、それに日本語訳を付けたという作品を今から引用するけど、正直言ってこんな作品を作ろうという発想はどうかしていると思う。
みんな孤独で。みんなの孤独が通じあふたしかな存在をほのぼの意識し。うつらうつらの日をすごすことは幸福である。
これはなんか、自分の思う、ひとりぼっちたち、という言葉のイメージにとても近いなと思った。
私が孤独を感じることと、あなたもそうであることに、本来は繋がりなどない。草野新平はここで、私もしくは誰かが孤独であるということが他者の孤独を癒すというようなことは一切言っていない。ただまあ、孤独であろうとも、「みんなの孤独が通じあふたしかな存在をほのぼの意識し。うつらうつらの日をすごすことは幸福である。」というのは、分からなくもない気がする。
Instagramを適当にスワイプしていたら、モロッコの海沿いでカフェを営むおじさんの投稿が目に付いた。二週間に及ぶ旅の終盤、食事をするのにふと立ち寄ったカフェで一枚写真を撮って、後日データを送るためにお互いのSNSをフォローし合った。名前も年齢も知らない、写真を渡してからは連絡も取っていないが、ただInstagramでは繋がっている。あのおじさんは孤独なのだろうか。孤独を感じることはあるのだろうか。知りようがないけれど、イギリスの家の狭い自室で一人SNSを眺めていたらあのおじさんの投稿が目に入ってきたとき「みんなの孤独が通じあふたしかな存在をほのぼの意識し。うつらうつらの日をすごすことは幸福である。」の意味が、前よりもほんの少しだけ分かった気がした。
そうではない人たちもたくさんいるだろうが、私たちは、いや少なくとも私は、Alonesの一員である。ひとりぼっちたちの一人である。あなたもそうかもしれないし、そうではないかもしれない。だからどうこうというものは、ない。ただ、「みんなの孤独が通じあふたしかな存在をほのぼの意識し。うつらうつらの日をすごすことは幸福である。」という言葉は、信じられるような気がするのだ。
よろしければ