今朝の「ブギウギ!」羽鳥先生がスズちゃんに「蘇州夜曲」を歌わせなかった理由と、その後のパフォーマンスをスピ的視点で見ると…

 朝ドラ「ブギウギ!」で戦争により強制的に「制限」されることの苦しさを、改めて感じました。これって、BTSメンバーが兵役義務を遂行しようとすることや、もちろんイスラエルとパレスチナの紛争だったり、日本の社会情勢、SNS内での人びとの対立などによる負のエネルギーを、みんながキャッチしていて共感しているからだと思っています。その苦しさや苛立ち、不安の表現方法が人それぞれ異なるのですね。

 


今日の羽鳥先生/メンターのグッジョブ


 リハ室で編曲をしている羽鳥先生に「蘇州夜曲」を歌うことを申し出るスズちゃん。羽鳥先生は心からその曲を歌いたいのではなく、劇団の存続の為に動きの少ない曲として歌いたいのだろう、と指摘。そして「センチメンタル・ダイナ」を演奏、スズちゃんが今までのステージでのパフォーマンスを思い出しながら、思い切り踊り歌いだす。

 本来の彼女の才能を表現できる歌、彼女が最も楽しめる、喜びを感じる、いわゆる天職である歌手をいかせる曲/ジャンルはこれ、ということ。
 それを外側の事情で我慢して、彼女の能力を殺して、なおかつ天職であるパフォーマンスをすることは、彼女にとってそれは実は痛みとして残るのです。ただ、それをやることがその時必要な経験であれば、痛みとして残っても経験することになります。
 その選択はとても難しく、迷うことがしばしばです。しかし、今日の「ブギウギ!」ではすてきなメンターがいて、それは「あなたの役目じゃない」「あなたはあなたのままで」と言うメッセージをくれました。


 ※「蘇州夜曲」はそのストーリーや後に李香蘭/山口淑子がプロパガンダに関わったことからプロパガンダの曲って思ってましたが、検閲を通りやすくするためだったとのこと。中国側からは「プロパガンダ」と思われたよう。でもグレイなイメージがあるので、スズちゃんには歌わせたくなかったのかも。


 
 もう、なんかこの状況、私の中の私が騒いでおります。
 思い出しなさい、というメッセージでしょうか。

 よく私のセラピストさんが言っていた「お役目を果たす」「違和感は毛一筋ほども無視してはいけない」「自分が本当にやりたいことは、苦労するってわかっていても止められないこと」などが、ぱーっと思い出されました。

 これは人間みんなに言えることで、特別な能力があるとか、他人がそれを認めているか、否か、成果が上がっているか、いないか、とかは関係ありません。(と、思いなさいと言われているw すぐに揺らいでしまうので)

   私は個人的にもグループ活動や他人と同じ行動をすることが苦手なので、とくにこの自分ではなんともできない「制限」がかかることに恐怖を感じます。大分、その恐怖をセラピーで手放してきたと思っていたのですが、まだ残っているようですね。最後の一押しぐらい。

 だから、この戦争により「表現すること」に規制がかかることが、とても堪えるようです。BTSのメンバーたちが(だけではなくそれに準ずる人びとすべて)、兵役義務を担うことも私にとってはかなり堪えているようですね。「制限される生活」というところに。もちろん、戦争に加担することになるということに強い違和感があることも。
 細かいこと言えば、マイナカードのように保険証が使えなくなるといった選択しが狭まることもすごく嫌です。

 土の時代の可視化できるものが良いとする価値観を持った人々の、最後のあがきが世界中で起きていると思っています。それはきっと完全に「風の時代」に移行した時、必ず、自由、平等、柔軟性、情報、知性、精神性といった個人を尊重するや見えないものを重んじる価値観に変わると、信じています。そういう流れを感じている人たちもたくさんいて、こういった「ブギウギ!」のような作品が生まれてくるのです! 


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