見出し画像

日々短文日記『熱量のある人を潰すことが可能性すら潰してしまうというお話』 (20190922)

『私、来年就活しないで1年留学しようと思ってるんです。』
『私、フリーで生きていこうかなーって』

久しぶりに常人並のチャレンジ精神を抱えて人生を謳歌しようとしている人間に出会った気がする。
常人の範囲内というのが残念そうな情報だが、最近の僕には充分な質という名の量を抱えた情報である。

就職活動を終え、授業も終え、アルバイトではそれなりの職務を終え、サークルや部活動ではそれなりの活動を終え、"惰力"や惰性"と言った言葉がお似合いな身体で突き進むことが多い文系大学4年というレッテルは、失礼なようで、しかしながら現実はマジョリティなものではないだろうか。(僕個人文系理系と分断するのは好きではないということは大事なことなので補足で書いておく。)本人の環境づくり次第なところではあるのもまた現実なのだが…

『何かにチャレンジしようとしています!』
こんな台詞は大学に入ってから耳にタコが出来る程他人から浴びせられてきた。そう、台詞を聞いただけなのだ。本気で行動に移した人なんてほとんどいなかった。みんな口だけ。本だけは一丁前に読んで、口先だけは教授並。何かをやろうとすれば、リスクを持ち出したがる。既存のモデルで進めようとすれば、新規性にかけるとか、クリエイティビリティが〜などと抜かす。アリババ創業者のジャックマー氏のこの発言が正にその通りすぎることをこの人たちに伝えてたい。(一語一句はあってないと思う、何となくこんなことを言っていた気がする。)

就職なんて1年遅れたって別に死ぬことはない。
逆に、1年留学に行っても人生が変わる保証もない。
しかし、だからこそ何をやってもいいのではないだろうか。それをやろうとする他人を馬鹿にするようなことをする必要はなかろう。

『フリーで生きていきたい!』
『型にハマりたくない!』と言えば、周りの大人たちは目の色を変えて何か説得してくる。まぁ気持ちはわかるし、多数の凡人で世の中は形成されているということが事実だと仮定すれば、凡人はどこまで行っても凡人、歯車として動く方がその人達には最適解なのだろう。しかし、熱量のある可能性に包まれた未来のインディペンデントエクスプローラー人にリスクを取ろうとすることをやめさせるのは如何なものだろうか。
僕の目の前で冒険の選択肢の1つを選ぼうとしている子の発言のすぐそばに、可能性を潰す声が聞こえる。
人によっては心配や世話という言葉で片付けることも母性や父性の1つなのかもしれないけれど、人の可能性を潰すことが不幸なことだという認識が世の中には存在するということ、昔の価値観で生き続けて今目の前で起こることを享受しないその姿勢が現代では愚かだという考えがあることを少しでも色んな人に知ってもらいたい。

そんなことを目の前でご飯を頬張りながら根拠のない自信と勇気を担いで言葉に表している1人の子を見て、考えさせられたというお話。
精一杯やりたいことをやり切って馬鹿にしてきた人たちを見返して欲しいというシンプルすぎるドラマを、その子が創り出してくれるならぜひ見たいなという個人的感想な情報。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?