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『素直に生きよう、その先にまだある。』〜日々短文日記〜(20191016)

良い言い方をすれば『短期集中』、ネガティブな言い方をすれば『長期継続力皆無』。短期間で獲れる情報量は満足いくものなのだけれど、2.5hくらいで切れてしまう集中。これが第3者に複数人囲まれるとさらに落ちる。
人間って45分が本当の集中の限界とかいうけれども、ハマる映画一本見てる時とか結構時間忘れてるし、中高生の頃やってたマインクラフトなんて我を忘れて何時間もやった気がする。自分の集中力すら認識できていない悲しい事実が突きつけられておしまいなのかな…と少し虚しくなる。けれども、もっと虚しいことは衰えを感じること。昔に比べて集中力落ちたなぁ…

ここで、急だけれど抽象的かつ僕の出来事日記から外れる話をしようと思う。まぁ卒論への集中力が切れたからnoteを書こうとして今スマホを触っているところから生まれた感覚というか考えを書こうって話。

嫌なことから目を背けたり、関係を絶ったりすることって大事なことの1つでもあるのだけれど、守りに入ることって自分の身の安全の確保と無理無謀なことを避けているようで、どんどん無理無謀なことで囲まれていく自分を作り上げているという時と場合が事象によっては出てくることに気付いている人、あんまり僕の周りにいないんじゃないかなと思った。自分もそうなっている瞬間がたまにある。自分に害をもたらす人とかはそりゃ関わらない方が身の安全のためだと思うけど、そんな話をしたいわけではない。例えば、何かの練習してたり準備してる時に『今日は何かダメだな、やめよう。』って気持ちや行動ってその場の自己保全や防衛がだいたいを占めてる気がする。『これ以上やったら先の自分に支障が出る。』とかいう身体・精神のコントロール的働きが機能してそう思うならいいと思うけど。
自分たちの線引きって意外と疲労や疲弊から来た信号ではなく、ただその場の自分が置かれている状況が気に入らないというところから始まることが結構な割合を占めているんじゃね?ってふと思いついたのだ。いや、これを思いついたのではなく、このことを意外とわかっていない人、いることない?って話(めんどくさいって感情が勝ってる状況も同じだと思った)
ランナーズ・ハイ現象の人が走ることをやめない理由の1つに今走ってる自分が心地よいってのはあるし、なんかそーゆー系の実験は動物で結構昔からされてきてたはずだし、上の話に通ずるところ、あるんじゃないかな?無かったらごめんなさい。

ここまで書いて来て何を言うかというと、めんどくさいとかやりたくないとか思ってる自分に嘘つかずに本気で向き合うと心って結構楽だし、"割り切る"って行動への参入障壁が低くなるんじゃない?って話だったり、その素直さ状態で生まれてくる好奇心って多分本物なんじゃない?って話。でも嫌なことだってやらないといけない人が世の中まだそれなりにいるのが事実だよ今はまだ?っていう事実の話。これからは変わってくると思うし、変えたいなら変えていこうとする姿勢や行動は必要なんじゃない?ただし素直にな?っていうありきたりな話。

卒論中断して素直に好きなことに逃げてきた僕が言うんだから、少しは聞いてくれてもいいんじゃない?見てくれてもいいんじゃない?って話をしようとしたけど、ここまで読んだ人はもう聞いてるし見てるんだ…ありがとうございますっていう感謝の話でおしまいにしようと思う。


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