遠くになくて近くにあるもの
NYのことを思い出した。
記憶だけだと思っていたあの光景。
わたしは実際に行って感じたのだった。
匂い。空気。
知人の方がNYの大学院かオランダの大学院に
行くかという選択肢で考えているそうだ。
わたしがよく髪の毛を染めたりしてもらっていた
美容師さんはNYの支店で働いていた。
頭の中をいつも彼女たちの存在がよぎる。
羨ましい、というよりも、
自分と違いすぎて絶望する。
きっと人生に対する向き合い方のようなものから
違っているのかも知れないとさえ思う。
きっと本当にそうなのだ。
わたしは「どこに行った」「行ったことがある」
その記憶だけがある気がするだけで、
「何をした」「何を成し遂げた」は、ない。
自分の身をそこに運んであげて、
そして日本に帰ってくる。
そんなことを続けていた。
29歳の今、何ができるのだろう。
無いものを数えたら限りない。
あるものは1つ、2つ、そんなに多くは
ないかもしれないし、
そんなに大きくはないかもしれないけど。
わたしには自分で描き続けてきたイラスト、
そして書き続けてきた文章。
身一つになったとしても
それがあれば、わたしはこの世界を
surviveしていけると思った。
それこそが人と心を通わせられるツールだからだ。
その“心を通わせられる"が欠如してしまったら
どうにもならないと思う。
そしてそれ以前に、
人間はこの世界で生きて行くための
衣食住が必要だ。
それがあってこそなのかもしれない。
色んなものを足してしまいがちだし、
足す人が多いからこそ成り立つ商売も
沢山あると思う。
いちど全部なくしてみたらどうだろう。
案外生きていけるし、
大切なものが見えてくるかもしれないね。
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