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小金牧(中野牧~下野牧)の巡検参加

嶺岡牧のエクスカーション活動の一環としての巡検に参加させていただきました。


本来は、遺構がほぼ完全に残る嶺岡牧を観てから、都市化により消滅が進む地域の牧の遺構を観るのがスジではあるのでしょうが、南房総の内陸まで行くのはそれなりに準備を考える必要があり、私の場合は松戸・流山・鎌ヶ谷・船橋あたりの小金牧の遺構を先に観ることになったのでした(上野牧は遺構が少ないから今回はコース外だったのかも)。

中世の城郭遺構については個人的に見て廻ることが多いので、土手の遺構はそれとの比較をしながら見ることになりました。具体的には、京都の御土居を連想しました。
江戸時代の日本では、各土地は領主の所有下にあるものと考えられてきました。そして、牧の土手もまた、専ら馬を農地に入らせ荒らされないために設置されているものと考えられてきました。ところが、古文書をよくよく検討してみると、農民たちは土地について意外と権利主張をしていて、土手についても境界を明示し土地の権利を主張するためにも設置されているという新しい見方が出てきているそうです。欧州とは異なる日本独自のエンクロージャーという視点はとても興味深いです。

日暮先生によると、土手も単純に土を掻き上げるだけで作ったのではなくて意外と複雑な仕組みをしていることがトレンチを掘ることで判明したらしいです。
また、御瀧山金蔵寺にある馬の水飲場跡の石垣も城郭遺構との比較で気になりました。城郭遺構の石垣の時代別・地域別の整理は最近研究が進んできている分野のようです。
その他、日暮先生は、綿貫家の墓地のある清瀧院の前の畑で貝塚を発見し、もしかしたら新発見かもしれないそうで面白かったです。


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