防衛業界参入企業が「死の商人」と呼ばれてしまうことについて
タイトルの通り、日本では、武器は「平和利用(peaceful use) 」のために開発・製造、輸出入されていて、それを生業として生計を立てている人たちが少なくとも存在する。言い換えると、一旦国際秩序が乱れて戦争特需が起こる時、防衛予算が今までよりも多くつけられて、一時的に儲かる業界が存在する。戦争は絶対に起きてはいけないが、戦争が起因して儲かる(儲かってしまう)業界・職業があり、私もその業界にある1人として"dilemma"に出会すことが多々ある。
日本企業の技術開発力の欠如により、輸入に頼らざるを得ないことがある。「平和利用」とは聞こえがいいが、人を殺傷するために開発された武器を輸入して、国の平和を保つ使われ方もある。
事実、私はこの業界で働くことは私自身の希望ではなかった。そのため、受け入れるまで1年半以上かかったし、今も若干違和感は感じ続けている。脅威的な兵器に打ち勝つためには脅威的な製品を見つける必要があり、それは平和利用とはいえど、人々のプラスの感情に直結している仕事とは到底言いにくい。
だがしかし。
2022年に突入してからというもの、数週間続く国際的な不安定感、度重なるミサイルの脅威、領土問題によって、私のジレンマが徐々に解消され、この業界でもう少し頑張りたいという気持ちになりつつある。
そういえば過去に、上司から「この業界は死の商人と呼ばれてしまうこともある。でも、絶対に誰かがやらなきゃいけない仕事。それは泥臭いこともあるし、地味なこともたくさんある。でも、社会に必要とされる仕事。」と言われたことがあるし、
私が学生時代お世話になった放送通訳の先生も、ご本人のSNSで「戦争特需という言葉は嫌いだけど、報道の一端を担うことが放送通訳者の使命と思う」と語っている。
本題に戻る。防衛業界参入企業が「死の商人」と呼ばれてしまうことについて。
では、国民の平和を守るために裏で努力している公務員や報道関係者、貿易関係者、研究者たち、その他関連する企業団体・個人に対して、あなたは「死の商人よ、戦争で儲けるんじゃないよ」と言えるだろうか。
私だったらこう反論する。「わかりました。では、あなたが実際にやってみてください。人間の愚かな側面に毎日毎日向き合い、時に自己の小ささに苛まれ、それでも何度も何度も平和を願い使命感を武器に動き回っている人々をよく死の商人と言えますね。では、あなたがやってみてください。あなたが。それとももうこの国を守らなくてもいいですか?」
私はこの言葉を直接唱えられるほど勇気もないし、精神的に老いていない。だからこうやって密かに、喫茶店の端っこで文字に残すことしかできないが、とりあえずここ数週間抱いた気持ちを記す。平和を噛みしめながら。
外資系専門商社でBtoB, BtoG営業をしています。さまざまな社会問題や身の回りに起きた出来事を発信しています。「新しいモノ・コトで人々の生活を豊かにする」