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「転職」って、美味しいんだろうか?

ひとつ上の先輩が退社する。転職するらしい。先日展示会の打ち上げで酔っ払った後、彼女とふたりだけで揺られていた電車で、「どうして辞めちゃうんですか?」とわざとらしく聞いてみた。理由は知っていたのだけど、本当の理由が他にあるのではないかと探ってみたくなった。その期待に反し、「分かってるでしょう?」とすぐに答えが返ってきた。組織的に不安定な状況と評価に納得がいかない、という理由はどうやら不動だったらしい。よくある理由だなと感じた。

その後彼女は「転職を考えてるのなら、製品に愛着を持つ前に辞めちゃった方がいいですよ」と軽く付け加えた。

僕はこれまで、部署内で軽いチーム異動があって、広く浅くのジェネラリスト路線で営業担当をやってきた。一方で、今年やっとメインで持てた製品に、ちょうど、愛着というものを感じ始めてきたため、この状況が先輩に見透かされているな、と思った。

そんなことを思い出しながら、僕はいまペリカンケースに入れられた何キロもする重い製品を運んでいる。彼女は、製品に愛着を抱きながら自分の将来を考えて仕事をしていたのだろう。彼女が担当していた製品は、たくさんの愛を注がれ、幸せだったに違いない。

製品が重いと運ぶのも一苦労だし、それ故、自分の業務においてもなんとなく「頑張った感」が加算される。目の前にある製品を飼い慣らしてやろうかと思いつつも、今よりも多い給与レンジが記載された求人票たちに最近は目が眩む。

ビジョンがあった学生時代。『こういう社会に変えたいです!』。強い意志と無骨な精神でコーティングされた学生時代の自分とは180度変わってしまった(みたいだ)。

一般企業に勤める人たちは、次第に自分の評価と給与にだけ関心のベクトルが向くようになる。これは、「結局一番は自分が大事」というプリンシパルに各自が気づき、その次に周りの人が大事、仕事なんて二の次だ、みたいな思想が出来上がってきた証だと思われる。ここに、良いも悪いもない。

だとしたら、だとしたらだ。仮に自分を一番に大事にし、高待遇を望むのなら、自分のためだけに頑張るのはナンセンスだと考えている。急がば回れ的なやつ。つまり、「目の前の人やお客さんのためになりたい」と思って行動できるやつが、その徳が回り回って自分に恩として返ってきて、よいものを掴める。よいものとは人によって違うが、真面目にだれかのために何かをやっていれば、自然と良い話が降ってくる、そう思うようになった。

とはいえ、今の自分には「自分のために生きるのもよし、他人のために生きるのもよし」という言葉がしっくりくる。上記の内容は、恵まれた環境下において到達できる、ある程度達観した思想だと思っているからだ。真面目に「お客さんのために頑張ろう!」なんて思いながら仕事をして鬱になっていった人間を何人か知っている。適当にやり過ごすのもありだと思う。

あの時辞めていったかっこいい先輩も、あの上司も、今もどこかで生きている。転職って、何かを掴むためでもあるし、何かから逃げるためでもある気がしていて、それは美味しいのか不味いのか分からないのだけれど、まあ、「転職」が普通になってきて思うのは、人材業界で働いているやつらは、本当に人や会社を幸せにしているのか?という、なんとも攻撃的で本質的な、遥か遠くに浮かぶ月。

外資系専門商社でBtoB, BtoG営業をしています。さまざまな社会問題や身の回りに起きた出来事を発信しています。「新しいモノ・コトで人々の生活を豊かにする」