ミシュランへの道 やきとりや人生9
新店舗を探しに新宿を中心に探した。なぜ新宿なのか?それは人口数と居住数が一番比例する場所だからだ。慣れ親しんだ場所ということもあった。
商売するうえで、場所は一番重要だ。自分がその場所に愛着を持つか?持たないか?で結果が現れる。
そこで西新宿を目をつけた。なぜここ?この場所は再開発のうわさがあり、10年後には区画整理されるらしい?という話を小耳にはさんだからだ。
都の再開発ともなれば、撤去に伴う費用も多額になるので、事業資金になる。この可能性に期待した。彼はここに未来の希望を見出した。
代々木の常連客に惜しまれながら、西新宿へ移転することになった。それからしばらくは、当然だが常連客の足は遠のいた。
しかし店舗の広さは代々木の倍以上になり、お客さんが20人来ても対応できる広さになった。
当初は宣伝力が乏しく暇な日もあったが、3か月目くらいから徐々にお客さんの予約が途切れなく入り、とりこぼしのお客さんをお断りすることがなくなった。
そして嬉しいことに、以前の売り上げが倍になり、移転してからというもの順調な滑り出しになった。しかし駅から遠くなってしまったので、気軽に立ち寄る感覚ではなくなった。
それにより客層も変わり、近所の外資系の役員が利用したり、店周辺の主婦が焼鳥だけ買いに来たりした。この頃には、前の頃の大学生たちも学校を卒業していった。
年配者の遠藤さん(友人)にフロアーマネージャーを任せた。遠藤さんは当初「新規店なんだから、売り上げがなくてもボランティでがんばるよ!」と熱い友情を見せていた。
しかし、お店の細かいメニューと日本酒のくわしい説明に、慣れるには時間がかかっていた。お客さんのほうが詳しかったりすることも・・・
遠藤さんは自称芸術家で、油絵のオリジナルな抽象画を描いていた。正直ま売れない絵描きさん?と言ったところだろう?
個性が強く、九州男児の頑固さが、たまにキズでOさんにミスを指摘されると、逆切れするシーンもたびたびあり、「遠藤さんの個性が時とともに出てきた」と言う。
そして半年後、やはりオーナーのOさんと大ケンカすることになった。給料の件、待遇の件、勤務時間の件。今までのうっせきした気持ちが爆発した。
友人と思っていたのに・・・予想してなかった友人からの攻撃で彼は人間不信になった。せっかく行くあてのない遠藤さんを使ってやってたのに・・・という気持ちだった。
そんなフロア・マネージャーは直接お客さんと接客するので、ある意味パーフェクトな接客でなければならないのだ。そのために30万円以上の給料を出しているのだから。
結局遠藤さんは突然が辞めた。その後、あらたにフロアマネージャーを採用した。◯さんは変則的に店に足を運んで、オーナーとして店を運営していた。
防犯と称して、スタッフの動き、お客さんの出入り、レジのチェックをするため店内に監視カメラを取り入れた。
つづく