ミシュランへの道 やきとりや人生8

どこの店にもない「〇〇〇」オリジナルの焼き鳥メニューは数多くあった。その数々がお世辞ではないが、すべておいしかった。


この評判が代々木界隈に行き渡り、近所に住んでいる住民や、噂を聞きつけた近所の大企業の人たちも、よくお店に来店した。このころは、予約が1ヶ月待ちとかで繁盛していた。


やがて「〇〇〇」は、数人のアルバイトも入り、スタッフも充実した。アルバイトに地酒の銘柄と特徴を覚えさせた。時給が良かったので、募集してはすぐに応募に来た。


大学生のアルバイトは都合が悪くなると、友人や後輩をアルバイトに来させた。そんなフレンドリーな関係だった。Oさんのホテル仕込みのサービスも教え、そんなサービスがお客さんに気に入られた。


お客さんには注文もしていない?ハーゲンダッツや手作りケーキ、郷里の北海道の特産品などを出していた。(もちろんサービス)接客でも、汗を拭いながら対応していた。


そんなフレンドリーな接客が客さんに受けていた。巨漢の◯さんは、毎日狭い厨房と店内を汗だくになって動いていた。


その当時の頃を思い出すと、閉店してレジを見ると「1万円札があふれんばかりにあった」と言う。消費税前のことだ。消費税がなかった分、中小企業は売り上げが全部収益になっていた。


それで中小企業は元気だった。それが橋本龍太郎政権の時期に、消費税3%という重税の始まりだった。この消費税が日本全国の中小企業に大打撃を与えた。


お店も開業当初は消費税がなかった分、がっぽがっぽ稼げていたのだ。それが消費税導入と同時に右肩下がりになったのは言うまでもない。


この下降現象は「○○○」に限ったことではなく、飲食店は致命的な売り上げ減の税金だった。


個人商店はこれにより淘汰され、この頃から倒産がじわじわとまん延していた。それまでの倒産とは違う意味で。


それは経営者が努力すればなんとかなった世界だったが、消費税導入は、今まで経験したことのない経済システムに中小企業はさらされていった。


一生懸命に事業をやればなんとかなった。それが消費税導入前。消費税という税金が登場したと同時に、綱渡りのギリギリで営業してきた飲食業は、次々と倒産の憂き目にあった。


それが当時の社会現象だった。国民が反対しようとも、勝手に法律を作り勝手に人の財布に手を入れてくる財務省と税務署には、誰もが憤りと怒りを感じていた。


社会保障費も上昇する中、広く薄く国民が負担するために、消費税という年貢を国民に押し付けて強制的に徴収してきた。


当然この政府のやり方に、Oさんも怒り心頭だった。せっかく軌道にのってきた事業に暗雲が立ち込めた。しかし彼はラッキーだった。


それは、消費税前に次の店を出せるほどの資金をつくることができたからだ。それは滑り込みセーフといったところだ。運がよかったのだ。


さらに彼の運気はグングン上昇した。前に夢で見た焼き鳥屋の夫婦の守護霊に助けられたから?かも知れない。


そして半地下のお店では、幽霊が出ると言う噂もあった。霊感のあるアルバイトの子が「店長・・・あの階段のところに女性がいます・・・」とよく言っていた。


さらに深夜仕込みの仕事をしていると、物が勝手に落ちたり、妙な音がすることがあった。だからと言って悪さをするわけでもなく、客足は順調だった。ちょっと気持ち悪いが・・・

つづく

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