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お引越し…

娘の父親との一悶着後、
「このマンションからは出て行くように!」と
宣告され、慌てて探し始めた新居探し。

希望を言えばキリがないけど、
それでも女二人で安心に暮らせる所を
知り合いの不動産屋さんに力になってもらい探しました。

交通の便や保育園の事も考え、
大阪市内のとあるマンションに決定。

家電製品は、それまで使っていた物を
「持って行っていい!」と言ってくれて
少し彼の優しさを感じたり…

いよいよ始まった娘との新たな生活。


色々と悔やんでも仕方ないので
必死になって働きましたよ。


娘を保育園ハシゴさせて…


昼間の保育園と、夜間の無認可保育園。


まだ小さいウチは、それが当たり前の様に
娘も通ってくれていたけど
年齢が上がるごとに、娘の反乱がその後徐々に始まり…

娘にキッズ携帯を持たせて、
「いつでもかけておいで」って言って渡し、
娘が実際にかけてくるも
「ママ〜(T . T)」って言うだけで会話にならず…


保育園からは「寝ないです」「眠い筈なのに寝ないです」
と、何度も電話が掛かってくる始末。


そんな生活を続けていたら、
とうとう私まで体調を崩し休職。


うつ病になり、引きこもり…


娘を保育園にさえ連れて行けば、
娘の食事の心配はしなくて済むものの
身体が思うように動かず…


保育園もしばらくお休み。


ある時、
娘:「ママお腹空いたから、このパン食べていい?」と聞かれ
私:「ごめんね…うん。それ食べていいよ」って言ったら


娘:「ママは体が悪いんだから、いいの。ママは寝てて」


もう、本当に情けなくて、申し訳なくて…

若干3年くらいしか生きていない子に、
なんてことを言わせてるんだって。。。


そこから、本当はやってはいけない
薬断ちという強行手段をとり、
昼夜逆転生活を治し、
食生活を更に見直し、
仕事を減らし、
娘との時間を作れるようにし、

この頃の事、薬の影響もあって
詳しくは覚えてないですが、
こんな感じで治しました。


まぁ、うつ病の話は、またおいおい…
(興味ないって^^;;)


そんな時、実家の母から連絡が

『おばあちゃんが危篤なの、会いに来る?』

大好きだったおばあちゃんが…
危篤だなんて…
ず〜っと私のことを気にかけてくれてたおばあちゃんが…


新幹線のチケット買って
会いに行きました。東京まで。
この時、娘は保育園に預けて…

もう、私と認識してくれているかも定かではなかったけど
なんとか生きている間におばあちゃんに会えました。

その日は、一旦大阪に帰り…


その数日後、
おばあちゃんは息を引き取りました。


さぁ、お葬式。どうする?



続きはまた後ほど…

今日も最後まで読んで下さり
ありがとうございました^^

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