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アイドルの民主化の行く末

「アイドル」という概念が大きく変化したのは、2000年代後半ごろ。流れをいち早くキャッチしてビジネス展開していったのが、秋元康さんだ。

それまでは、1人もしくは数名のグループが普通だったのを、数十名からなる大きなアイドルグループとしての概念を確立させた。

そして、その概念を確立するにあたって大きなイベントとなったのが「投票制度」だ。自分の好きな推しメンを作り、その人が上にいくように応援する。そして、”会いに行けるアイドル”として距離の近いアイドル像を作りあげた。

アイドルとの距離感

これまでのアイドルと全く異なっていたのは、この「距離感」にある。これまでのアイドルは、全く別世界にいる住人のような、手が届かない高尚な存在として存在していた。

それがAKB以降、アイドルという枠組みが身近な対象としてみられるようになった。そうなった背景には、もちろん握手会のように触れ合う機会があるということも挙げられるが、最もそう感じさせる要因となっているのは、その「人数の多さ」にあると感じる。

数十名という単位で成り立つアイドルグループがいくつもあると、もはやそこに「アイドル=手が届かない崇高な存在」という偶像は成り立たない。

一人一人に焦点を当てても、「何百人といるアイドルの一人」という捉え方になってしまう。これにより、多くの若者にとって、アイドルは「私も頑張ったらなれるのでは?」という、リアリティのある憧れの対象となっていった。

1億総発信社会

それをさらに押し進めたのが、SNSや動画配信サービスの台頭だ。今の時代は、もはや誰もが自分のことを世界中に発信できる「1億総発信社会」である。

AKBグループによってこじ開けられたアイドルの民主化は、SNS等によってさらに加速していっている。今の若者は、全員が”知り合いに1人はアイドル的な活動をしている人がいる”というくらいになっているのではないだろうか。

これだけ発信者が増えていくと、大変なのは「応援者側」である。発信者側が増えているということは、逆に言えば「応援者側が減っている」と捉えることもできるからだ。

アイドル的なファンビジネスは、需要と供給のバランスが大事である。例えば、私が支持するアイドルが、私以外に一人もいないとなると、その人はアイドル活動を続けることは難しいだろう。たとえ生活費ほどのお金を私が一人でつぎ込んだとすれば、それはパパ活やキャバクラのように見えてしまう。

一定の数がなければ、アイドルとして成り立たないのだ。

アイドルの民主化

今の時代、アイドルの民主化によって、自己発信をしている人が増えている。もちろん、誰もにチャンスが与えられている現代は、とても良い時代と言える。

しかし、その分ファン側は減っており、さらに発信者の数が増えることで、ファンの分散もおきている。この状態はいつかバランスが崩れるだろう。

発信することに疲れてしまった人たちが離脱していき、ふるいに落とされていく。いつの時代も、弱肉強食は変わらない。

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