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『石工の仕事は石を積むことではなく、教会を造ること』の危険性-WhyとWhat

有名な寓話で、『石工の仕事は石を積むことではなく、教会を造ること、さらには人々の心の寄りどころを造ること』の話があります。

ある建築現場で、何をしているのかを聞かれた三人の石工のうち、
「一人目の男は『これで食べている』と答えた。
二人目は手を休めずに『腕のいい石工の仕事をしている』と答えた。
三人目は目を輝かせて『国で一番の教会を建てている』と答えた
すると、最後に奥にいた四人目の男が答えた。
「私は皆の心のよりどころを作っている」と。

引用元はドラッガーです。イソップ童話という話もあります。

そして、実際に、モチベーションの上げ方だったり、企画の深め方として『石を積みたいです』といってる人に対して、『石を積むってのは手法だよね?教会を造るに当るあなたの目的は?』みたいなことを聞き出すアプローチをとってきし、『その人が思っている本質的な目的やビジョンを引き出してあげることが、本人のためになること』と思って接することが良いとされています。

ただ、『私はとにかく石を積みたいです。それが教会だろうがお城だろうが民家だろうが関係ない。石を積むことそのものが楽しいのです』って人も一定人数いるんですよね。その人に対して、無理矢理『教会』に当るモノをビジョンとして聞き出しても、とってつけたような答えしか返ってきません。

ましてや、そのとってつけた答えを元に『あなた、教会を造りたいって言ってたよね?だから、教会を造りたいあなたのために、石よりも丈夫なコンクリートという素材があるから、これを使えば良いよ!石は片付けておいたから!』っていう改善アドバイスを、よかれと思ってしたところで、

本人からしたら『目的をより効果的に実施し、自分の夢とビジョンに近づくための手法の改善』とは受け取ってもらえず、『一番やりたかった【石を積む作業】の全否定、やりたくもない、やりがいも感じない、コンクリートの流し込み作業をさせられた。』でしかなかったりします。こうなったら、モチベーションもだだ下がりですし、本人の幸せにはなりません。

そして、この『石に拘る』人がいるからこそ、石を積む技術が高まり、より高さのある建物、より揺れに強い建物が出来るブレイクスルーも生じるのです。『教会を建てたい人』ばかりで、『石を積む人』がいなければ、教会は建たないのです。

もちろん、『石を積む人』の仕事は『コンクリートを流し込む機械』の仕事に長期的には変わっていくかもしれない。むしろ、変わっていくモノでしょう。でも、そう変わるのは未来の話で、コンクリートというモノは世の中に誕生していない現在では、石で積まなければいけないという事実は変わらない。

ドラゴン桜にもあったたとえですが、未来は甲子園、現在は地方予選。これは、未来が重要ということではなく、現在をサバイブしたものだけが、未来に辿り着けると言うこと。

『目的・ビジョンのインサイトを探ることこそ本質』ということも見直していく必要があるのではないかと思います。

今日の話はここまで。

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