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僕らはずっと、いつでも死んでいる

※この記事は自殺や死を美化する意図では書いておりません。自殺や死の報道を受け、それがトリガーとなり自殺という選択肢を選んでしまう、自殺者が増えてしまうことを「ウェルテル効果」と呼ぶそうですが、それについて触れている記事となります。自殺を選ぶ前に、僕に相談してください。話なんでも聞きます。もしくは050-0064-556(こころの健康相談統一ダイヤル)に電話してください。そばにいます。
以下は「自殺報道ガイドライン」「ウェルテル効果」について触れている荻上チキさんの動画です。

辛い訃報が多すぎる。

7月14日。僕の大好きな海外ドラマ、「glee」のサンタナ・ロペス役で知られられるナヤ・リヴェラが湖から見つかった。33歳の若さだった。
7月8日にボートを借り、返却時間に帰ってこなかったため捜索が出されたところ、ボートに一人4歳の息子が乗っていたという。彼女はその日、7:16(日本時間)に「just two of us」とツイートしていた。

息子さんの証言によると、「お母さんが水の中に沈んでいった」。6日間に及ぶ捜索の後、彼女は遺体で発見された。

このツイートに対する日本語のリプライには、「なんでgleeばっかり」「呪われている」といった感想が散見された。ちょうど7月14日は、gleeのヒーロー、フィン役のコーリー・モンテースが薬とアルコールによる混合薬物中毒で亡くなった日だった。
2018年1月30日にはパック役のマーク・サリングが、自宅で首を吊って亡くなっていた。彼は2015年に児童ポルノ所持の容疑で逮捕されて以降、リストカットなど自殺未遂を繰り返していたようだ。児童ポルノ所持は、日本では「なんだ、ロリコンか」のような簡単な言葉で片付けられがちだが、海外ではこれは非常に重い罪で、世間からの評価は一気に地に落ち、芸能人としての社会復帰は不可能になる。
余談だが僕はロリコンという言葉が嫌いだ。罪に対して言葉があまりにも軽すぎる。はっきりと「ペドフィリア」と呼ぶべきだし、明らかに異常性癖であり、おぞましく、犯罪者予備軍であることを指摘しなくてはいけないと思う。ロリコンを名乗る人は、是非そんな危険を孕んでいることを理解した上で、「二次元限定です!」など絶対に注釈を入れてほしい。
とにかく、マークはこれにあたる罪を犯し自殺した。

そして、三浦春馬が首を吊って自殺。あまりにも辛い訃報が続く。

前述の「なんでgleeばっかり」といった感想だが、僕は…まあ無理もないかなと思っている。gleeのキャストや三浦春馬には、なんとなく共通点があるように思えるからだ。

それは、「人間の弱いところ、死に触れすぎている」ということ。

僕は数年前役者をやっていて、大きめの養成所に通っていた。そこで初めての授業、とある先生に「もし1回自由に死ねるとしたらどうやって死にたいですか」とクラスメートの前で質問し、「お前頭大丈夫か」と返答をもらった件は、以前のnoteでも投稿した。

要は、僕はいつだって死んでみたい。やってみたい死に方ランキング1位は「新幹線に引かれる」、2位は「高所から落ちる」(最近家の近くのマンションが建設途中で、ベランダに柵が付いていないのを見てワクワクしてしまった)、3位はなんだろう…「銃を口に咥えて引き金を引いてみる」とか?首吊りもやってみたい。…が、やらない。やらないだけ。
なんでこんな思考に至ったのか、よくよく考えてみる。タナトスに誘われると言ってしまえば美しすぎるこの甚だ迷惑な傾向は、生まれた頃からあったようにも思うし、演劇で「死者」を演じた時に生まれたような気もする。

死んだ後の世界って、どんなふうなのだろう。死者はどんな気持ちなのだろう。調べれば調べるほど興味が沸く。また、憧れの人も自殺していることが多かった。そんな「死」を考え、身近に感じ、時に臨死体験をし、身近な人が死に、芸能人が死に…。

学生の頃、ツイッターのフォロワーのお一方(大好きな絵師さんだった)がこんなことを呟いた。

「重い病気になったら死ぬ。大事故にあったら死ぬ。生きてたら死ぬ。なんの変わりもない。つまり生きるって病気なんだよね」

ハッと思わされた。生きていたら絶対に死ぬ。生きている限り100パーセント死ぬ。この世で絶対的なことはただ、死のみである。生きている限り、私たちは死に続けているんだ。

ナヤ、コーリー、マークや三浦春馬はきっと、死がそばにあることを知っていて、ふらっと誘われてしまう場所にいたのだと思う。自ら死を選んだわけではなくても、少なくとも死を遠ざけることに腐心していたわけではないようだ。センシティブなテーマを取り扱った芸術家には、きっとより死が近いものになってしまっているのだろうと推測する。

私は人の影響を受け、死というものを身近に感じている人だ。いつでも死を選べると思っているが、私が死んだ後、父が僕の遺体に向かって怒鳴り散らしながら泣いている姿が容易に想像できて、それはダメだなと思いとどまっている。いつか死ぬ、いつでも死ねるのだけど、どんな状況でも人は生きていける。弱く強い存在だから。

同じように影響を受け、ふらりと死を選んでしまいそうな方がいたら、絶対に相談してください。僕に。

最後に、ナヤ・リヴェラ、三浦春馬さん、どうか安らかにお眠りください。愛しています。

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