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うそをつくのも、本音を隠すのももう疲れた

私は仕事で文章を書いている。または、文章の構成を考えている。
それは、私が言いたいことではなくて、クライアントが言いたいことだったり、クライアントのクライアントが言いたいことだったり、内容は色々あれど、私の書きたいことはほとんど含まない。

言うことを聞いている。
言うことを聞くことは、仕事だと思う。

うそをつくということについて。
幼少期は、「私は二重人格だ」「私は男だ」といったような、特別な存在だということを人に信じ込ませるためのうそをよくついていた。
今も、話をオーバーに盛ることがよくある。
でも、昔ほどうそをつくことに、希望感はなくなった。

自分をよく見せるうそはあまりつきたくない。同様に、仕事でも何かを必要以上によく見せることを繰り返して、もう疲れた。

うそ、のうちなのかもしれないが、私は本音を隠すのが非常に不得意だ。
B型が自己中心的だと、ありもしない通説を言われるたびに怒りが込み上げる。ただ、過去の恋人は私のことを自己中心的だと言うことが多かった。
きっとそうなんだなと思ってる。
そして、それは本音を隠す意志がないことや、本音を隠すのが不得意なことに大きく関わっているのだろうと思った。

化粧品も流行りの服もアニメもドラマも俳優も美味しいレストランもカフェも、ほんとにどうでもいい。

ほんとにどうでもいい。

そういう本音を隠して仕事をしている。

仕事でそう思うたびに、プライベートくらいはそんな無理をしたくないと思ってしまう。

きっと、正直に話して咎められるケースについて、予想が至ってないんだと思う。

でももう、一旦今は疲れた。取り繕う余裕もない。人に迷惑をかけないように、本音を一人でこぼして感情的になっている。

忘れてはいけないのは、私の本音と他者の本音は対等だということだ。自分の本音を通すために他者の本音を捻じ曲げたり、他者の本音を聞いて自分の本音を捻じ曲げたりしてはいけないと思う。私はそう思っている。

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