2019/12/3 参鍋由美さん、村木理恵さん

※本プロジェクトは
日比野克彦×道後温泉 道後アート2019・2020
「ひみつジャナイ基地プロジェクト」

の一環で、現代音頭作曲家の山中カメラが中心となり、障がい者や老若男女、外国人等様々な人が出会い、個人と個人のコミュニケーションを重ねながらそれぞれの身体表現を探る。
様々な人を繋ぐインターフェイスの制作、もしくは踊りに特化した共通言語、身体感覚の拡張を探り、多様な人たちが響き合える手法と場を模索し、ともに創り上げる。
最終的には、誰もが一堂に道後に集まり、踊りを楽しめる場としくみを作ることを目標としたプロジェクトです。

12月3日、愛媛県視聴覚障害者協会の手話通訳、上場ゆりさんのご紹介で、愛媛県視聴覚障害者協会副会長の参鍋由美さん、愛媛県視聴覚福祉センター職員の村木理恵さんのお二人に、道後アートプロジェクト(DAP)の踊りプログラム担当の三好直美さんと二人でお話をお聞きしてきました。

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(写真:下段左より参鍋由美さん、村木理恵さん、手話通訳の上場ゆりさん)

お二人ともとても穏やかで、子供時代の話から、現在の仕事、趣味にいたるまで終始にこやかにお話していただきました。
お二人共に犬好きで、現在でも趣味でバレーボールを頑張っておられるとのことでした。

参鍋さんは、幼少時代に肺炎で高熱を出し、今までお話をお聞きしてきた方同様、熱を下げるためにストレプトマイシンを打ち、その副作用で耳が不自由になったとのことです。
村木さんは生まれつき聞こえず、1歳くらいのときに「この子は耳が聴こえないのではないか」とおばあちゃんが気がついたそうです。

参鍋さんは、前回の岡田さん同様、手話を使うことを特に厳しく禁止されていた宇和聾学校へ、村木さんは松山聾学校で学ばれました。
村木さんの時代でもやはり、手話は禁止されており、
前回までお話をお聞きしてきた皆さん同様に、声の発声や相手の口の動きや喉の動きで言葉を読み取る「口話教育」が非常に大変だった、辛かったとお話をされていました。
今までお話をお聞きした全ての方が「口話教育」について、「非常に辛かったけど、社会に出たら何の役にも立たなかった」と口を揃えておっしゃるので、
私自身も、(当時は手話を禁止してまで)何故こんな教育をしなければならなかったのか疑問だったのですが、手話通訳の上場さんのお話で考えが変わりました。

聴覚に障がいのある方が口話教育を受けないと、言葉の発声が出来ないのでどうしても「あー」とか「うー」とかだけの発音になってしまう。
しかし、口話教育のおかげで聴覚に障がいのある方が、私のように手話を理解できない人間に対して、音にならなくても口の形を作って伝えてくださることで口の形と少しの発声である程度の意味を受け取ることが出来るのだと。

今までは聴覚に障がいのある方が、相手の口の動きを読み取って理解するための教育だと思っていたのですが、私達に音と口の形で伝えていただいているのだという側面を改めて実感しました。
言葉を口に出すという行為は私達にとっては当たり前のことですが、(お二人もおっしゃっていましたが)先ず言葉というものを理解出来ないし、自分の声を自分の耳で確認も出来ない。それを何年もかけて訓練するということは本当に想像が出来ないくらい大変であったろうなと改めて感じました。
これからは聴覚に障がいのある方の口の動きや発声を感謝を持って受け取り、同時に私も手話を少しでも学習しようと思いました。

参鍋さん、村木さん、貴重なお話をありがとうございました。
大変勉強になりした。

(手話通訳:上場ゆりさん 写真撮影:三好直美さん)

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