はじまりの合図(の、ぼくの場合)

 偶に思い出す事がある。小学生の頃、札幌のショッピングモールにある楽器店───店名の記憶を必死に掬い取って調べたが、すでに閉店していた。とても寂しい───で、安物もいいところのアコースティックギターを親に買ってもらった日のこと。期待が高じて前日の夜にいらぬ下調べをした僕はレフティギターというものの存在を知っていたが、それでもまずは、と店員のお兄さんがネックを左手に握らせてくれたのはたしかに英断だったと思う。ここまで覚えておけばいくらか格好がついたのだけれど、指の置き方をひとつずつ丁寧に教えてくれた、周りの目を気にしながら不器用に鳴らした生まれて初めてのあのコード、なんだったっけな。

 ひとの気持ちというものが矢印の形をしているとして、僕のそれは悉く内側を指しているだろうと思う。自分の思案を外界に放り出すという行為がとても恐ろしい。自己紹介が必要な場に行くたび変な汗をかく。どういう理屈だったかは記憶にないが、ギターを始めたことを他人に知られるのが嫌だ、とぐしゃぐしゃに泣いたことがある。音楽を自分で作り、あげく外気の触れる場所に置いておこうなど考えたこともなかった。

 BUMP OF CHICKENの『Orbital Period』というアルバムがある。人生で初めて手に取ったこのCDは僕の喜怒哀楽ぜんぶを知っている。思うように音を出せず暫く距離を置いていた僕がふたたびギターを手にとるきっかけとしても、『花の名』という曲が機能した。あのときのコードはなんだったか。いや、鮮明に思い出せる。錆びついた弦のチューニングを慎重に半音下げて鳴らしたGメジャー。

 偶に思い出す事がある。仲の良い友人たちとバンドを始めたいと思った時のこと。どうしてそう思ったのかは実のところあまりよく覚えていない。記憶にあるのは、震える手でグループLINEにある曲のデモ音源を送付したときの、出所が判然としない涙。心拍数。真っ白な視界。と、あの気持ちは確かに自信であったと思う。あのときの僕の、ふらつく足で放り出してくれた一歩の、ひとまずの着地点になる。ひたすら僕に似合わない、名前からなにまで気に食わない街のライブハウス。模様のつもりでも、ましてや好きになるつもりでもなく、引っ掻き傷を残しに行こうと思う。

 それで、そのはじめての曲。サビから作ったんだけど、あの頭のコード。解釈次第だけど、これも半音下げのGメジャーということでいいか。


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