寝たら大抵忘れる

自粛期間中に植えたシソがぐんぐん伸びてきた。それと同時に月日の経過を感じる。結構な数の種を植えたから、間引くという作業があった。間引く作業、せっかく育ったのに・・・うーむ。という気持ちになった。
でも、必要か必要じゃないか、愛情を与えすぎてしまうことは時に良くないということを、何だか再確認させられたような気がした。無心で抜いた。
少し汗ばむぐらいの季節になり、もう夏はそこまで来ている気がする。

学校が始まり、生徒たちが登校するようになった。慣れない時間割の中、よく通ってくれているなと思う。お互いの顔を見ることができ、何だか嬉しそうな姿を見て少し私も嬉しくなった。

先日、若干の無駄な時間を過ごしてしまい、久しぶりにむしゃくしゃしてしまった。この時間は本当に必要なのかどうか、上手く判別して、どのような立場でも改善点は改善していきたい。と、思いつつ臆病な自分もいる。
どこかで人に良く思われたいという自分はいつだって存在している。その自分に打ち勝つ時もあれば、そうでない時もある。今回は後者だった。
何かに憤りを感じるとき、それは相手に対してなのか、はたまたそのせいで自分が思ったように動けないという情けなさに対する、自分に対する憤りなのか。ふと考える。
自分と気が合わない人間というのはやはり存在し、たまたま一緒に物事を動かすとなるとそれはもう大変な労力がいる。あまり人を嫌いになりたくないとは思っているが、少し嫌いになりかけた。自分は生徒に「人のいいところをなるべく見つけられるように生きてるよ」とか、「相手を理解しようという努力をしてるよ」とか、つい最近の授業でデカい声で、言っておきながらだ。めちゃくちゃ笑える話だ。

一晩寝て、朝起きたら憤りなどもほぼゼロになっていた。これは私のめちゃくちゃ良いところで、大抵のことは寝たら忘れるタイプ。むしろ、この気の合わない人たちとどう仕事を動かしていくかを学べるのはチャンスなんじゃないかとさえ思えてきた。もしかして、自分のためにはとても良いところに足を突っ込んでいるのではないか・・・と。
昨日は自分が情けないことに怒り、かと思いきや今日はちゃんと自分のことを好きになれた。そんな感情に振り回されてしまうのも、なんとも人間らしくて笑える。

生徒たちは、物珍しい新任の先生の話を比較的キラキラした表情で聞いてくれる。なんと素直で可愛いことか!と思う。その期待に、上手く応えることができるかどうかわからないけど、私は私なりに頑張るね。と思っている。
教室に入る風は、少し生ぬるくなってきた。それでも午後一番の授業の心地よさは最高だ。学生の頃、この時間が好きだったことも思い出。

何かあったとき、とか、たまに寝れない時、布団に入りながら夜中1時間ぐらい同居人とだらだら喋るあの時間が結構好きだ。昨日も私の怒りが爆発していたこともあり、だらだら喋った。どんな自分でも、どこか救われている気がした。

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