感情をどこか遠くに飛ばすこと、ありません?

朝ごはんをパンからおにぎりにしたら、めちゃくちゃ調子良くなりました。梅干しが具です。

羊文学というバンドが超〜好きなのだけれど、私の周りにはあまり共感者がいなくて寂しい。
それもそう、私の周りって多分根っからはちゃめちゃに良い奴が多い。
全部嫌になって投げ出して鍵とウォークマンだけ持って夏の夜、外に逃げ出したい なんてこともなさそうな、感じ。あったらごめん。
私は根が暗い中の暗い人間なんですね、実は。明るくいた方が生きやすいから明るくいるだけである。多分、私の周りの超絶良い人達はそうじゃない。
人間だから辛いな〜ということはもちろんあるけど、私の落ち込み方とは違うような…そんなような気がする。全部憶測だけど。

全部全部腹を割って話せたらいいのにな、人間。何を言っても恥ずかしいと感じさせないような関係性を、どこでも紡ぎ出せたらいいのにね。

私は完全に陰の素質があるタイプの人間だけど、周りの完全に陽のタイプの人たちが大好きです。なりたかった私でもあるけれど。

羊文学を聴くのは、ハッピ〜に行こ〜!!!という時じゃない。何か人生疲れたな〜とか、日々の出来事のもろもろで、感情をどこか遠くへやっちゃいたい時に聴いたりしている気がする。
今回、コロナの関係でオンラインライブツアーをしているので、嬉々として観ているけどやっぱり、どこか気持ちを遠くへ飛ばしている。

大学生の頃の私、1に音楽2に単位3に資格と4にバイトって感じで生きてたな。これまでの人生、ほとんど音楽優先で生きてた。
この数ヶ月ギターを触らない生活が続いていて、何だか不思議な気持ちになる。
あんなに弾いていたし、あんなに夢中になっていたのに…

4年間やった音楽も、全部嘘だったんじゃないかとたまに思う。

中学の頃、合唱コンクールの学年合唱の伴奏を任されたことがあった。私よりピアノが上手い子がいて、技量はその子のほうがあっただろう。
先生曰く、「音が大きい」「感情がこもっている」の判断で私になったそうだ。職員室で話しているのを盗み聞きした時、「私、誰かを感動させられるピアノを弾けているんだ、、」とじん…と感動した。単純に技量だけで判断されないという事実にもまた、驚いた。
その後の音楽も寿命を削るようにやっていたし、かっこよかった。とか、しびれました〜!とか、そういう声が聞けるたび、やっていてよかったなと1人静かに思った。
本気でやった何かが、ちゃんと伝わっているのがよかった。と、思ったはずなのに、その感動も、今じゃどこか、筆箱の中のあんまり使わないシャー芯のケースの中とか、、、にいってしまっている。

というような思念が、羊文学のライブを観ていたらモヤモヤモヤ〜ンと浮かんできたので駄文ではあるけど記してみた。
駄文じゃなかったことなんてないか。えへ。

音楽はいろんな方向から、人を救うことがあると、私はずっと信じ続けているな。

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