梅雨だ!

昨日も今日も、雨ですね。

私には雨女説があるんだけど、実はそんなに雨は嫌いじゃない。外に出るのはちょっと億劫だけど、可愛いレインシューズちゃんでもお迎えしようかなと思ってる。社会人になってお金の余裕があるの超嬉しいな。

雨が降ってる音を家の中で聞くのが好きだ。起きた時少しじめりとするあの感じも、嫌いにはなれない。学生の頃、台風が来た時暴風警報が出て学校が休みになったあと二度寝したときの気持ちよさとか、同居人が仕事に行ったけど店が閉まって帰ってきた後、一緒に昼ぐらいまで寝た時の背徳感とか。なんか好きでいる理由がある。

台風が去った後のあの澄んだ空気も良い。雨が降る前の、雨の匂いも。

今週は怒涛の一週間だった。この生活に慣れるのかどうか、ちょっと不安だ。でもとてつもなく楽しいのは確かだ。
久しぶりに誰かに誠意をもって、正論を言わなきゃいけなかった。感情と感情のやりとりはすごく疲れることを思い出した。怒るという感情は冷静でいても心を削るものだな・・・。
その反面、生徒が一歩前へ進み、すごく良い顔をしていたところに立ち会えたこともあった。先生になってよかったな・・・と本当に思えた。
ちゃんと自分の選択が間違ってなかったと言えるのは嬉しい。


昨日姉を正論で殴り、私の心も疲弊してしまった。昔に比べて誰かを言葉で傷つけるという行為が、たとえ正しいことだろうと体力も心も削られるものになっている気がする。
それは私が優しくなれているのかなのか、ただ単に年老いただけなのか。

私は3姉妹の末っ子故、手放しに夢を追える勇気も環境もなかった。言い訳に聞こえるだろうけど、私に危ない橋を行く度胸はなかった。
高校も大学も、音楽をやることが本当に楽しくて、それが生活の基盤だった。でも、それを職業にしたいと言えるほどの環境ではなかった。
姉に、「本当は音楽をやりたかったんじゃないのか」と問われ、久しぶりに心臓をギュッとされたようだった。そりゃあ、やりたかったし、その夢を追えるに越したことはないけれど。やりたくても諦めた切ない気持ちが舞い戻ってきて少しセンチメンタルになってしまった。

私は今の職業を選択したことに悔いはないし、何なら天職かもしれないと思うこともある。でも、切ない気持ちになった高校生の頃の私を救うべく、今後も音楽を続けることは諦めたくないな、と思う。

忙し過ぎてギター、弾けてないな。明日は弾いちゃおうかな。

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