天職
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天職

山路力也

 トイレットペーパーを交換するのが私の役目だ。誰かに任されているとか頼まれているとかそういうことではなくて、なぜかいつも私の時にロールが終わってしまうのだ。だから私が取り替える。これまでに何百、何千ものロールを交換してきた。

 そんなの偶々だろう、あるいは使う量が多いのでは、と思われる事だろう。しかし、これが家だけではなくデパートやレストラン、ホテルなどでもそうなのだとしたらどうだろう。いつ何時どんな場所でも交換の機会は突然訪れる。私の中では、トイレットペーパーを交換することが、宿命から使命に変わりつつあると感じている。

 しかし、いつからこのトイレットペーパーなんて洒落たものが、私たちの日常生活に浸食して来たのだろうか。かつて、まだトイレが便所と呼ばれていた頃、水洗ではなく汲取式だった頃、洋式ではなく和式だった頃、トイレットペーパーは「塵紙」や「落とし紙」などと呼ばれ、竹などで作られた箱の中に一枚ずつ積み重ねられていたものだった。そしてその感触はもっとゴワゴワしたもので、ちょっと強く拭こうものなら血が滲んでしまうようなものだった。

 いつしか便所の片隅に積み上げられていた塵紙は、細く長く巻き取られてトイレットペーパーと呼ばれ、その感触はとても柔らかくなり、便器は洋式に変わり、便所のドアには「W.C.」と書かれるようになり、そして「鼻紙」までもがティシュペーパーと呼ばれるようになり、街からは塵紙交換の車も消えた。明治維新以降、食事や服装が欧米化していく中で、生活様式も欧米化していくことは至極当然のことであった。

 ところで、トイレットペーパーにおけるシングル/ダブル問題に関しては、時にダブルの方が得であると勘違いされるケースが散見されるが、使用している紙の量は同じであることを忘れてはならない。60m巻の場合、シングルであれば60mの長さで使えるが、ダブルの場合は30m分しか使えない、ということは意外に気づかれていない。

 それよりもティシュペーパーの200組/150組問題の方がより深刻だ。ボックスサイズがコンパクトになった、という謳い文句で売られているティシュだが、そりゃ50組100枚分少ないのだから、ボックスが薄くなるのは当然のこと。それをあたかもエコなどを匂わせて、あわよくば同じ価格で売ろうとするのは詐欺のようなものではないか。

 ちなみに、私の場合ティシュはこの十数年ほとんど購入したことがない。昔は塵紙は新聞紙と交換するものと相場が決まっていたが、今ではタダでくれるのだ。ボックスティシュはガソリンスタンドがくれるし、ポケットティシュは頼んでもいないのに金を貸そうとする人や、そんな気もないのに女性をあてがおうとする人たちが、駅前でにこやかに私の行く手を遮りながら渡してくれる。

 別にお金に困っているわけでも、女性に困っているわけでもないのに、あのティシュを貰うとそんな人に思われてしまうのではないか、と気にしながらもついつい手を出してしまう心の弱さ。そしてしばらく歩いた後にそのティシュに入れられている広告の紙をサッと抜き取り、気付かれないようゴミ箱に入れて証拠を隠滅する心の小ささ。

 それならばいっそ買えば良いのにと思わなくもないが、タダで貰えるものを買うというのも癪に触る。だから勇気を振り絞って駅前でポケットティッシュをさりげなく貰おうと試みるわけだが、ここで注意すべきは、コンタクトレンズを売る人たちが配っているものは、ティシュのようにみせかけて、ティシュと同じサイズにうまく丸めて折ったチラシである、ということ。油断も隙もあったものではない。

 さて、トイレットペーパーの交換がもはや使命となっていると述べたが、最近は主に駅や高速パーキングなどの公衆トイレで、驚くほどに大きなロールが設置されている場合がある。長いものでは1kmのものもあるそうだ。その場合、当然そのロールは横向きにセットされているのだが、普段とカットする向きが違うからだろうか、綺麗に真っ直ぐ切れた試しがない。

 しかし、そんな半永久的に使えるのではないかと思われる巨大ロールペーパーを目の前で切らした時には、これはもう使命というよりも、神によって、いや紙によって与えられた私の天職なのだろうと確信する境地に至った。トイレットペーパーが切れた時は、私まで遠慮なくご用命頂けたらと思う。鮮やかに速やかに交換して差し上げよう。何しろ天職なのだから。

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山路力也
フードジャーナリスト/ラーメン評論家/かき氷評論家。著書「トーキョーノスタルジックラーメン」他。連載「SENSE」「シティ情報Fukuoka」他。TV「郷愁の街角ラーメン」(BS-TBS)レギュラー。「作り手の顔が見える料理」を愛し「その料理が美味しい理由」を考えています。