どうしたら英語が英語のままわかるだろう
人間の認識力・表現力をガイドするルールを「概念」という。
それぞれの概念は、それぞれの表現態(音声・文字)と結びついている。概念を日本語の表現態で表せば日本語になるし、英語の表現態で表せば英語になる。
このことを説明するために、たとえ話をしたい。
ひとつの無色透明な玉(概念)があるとする。
この玉に入っているもの(内容)が、たとえば「5」という概念だとする。日本語がわかる人向けなら、玉の表面に「五」と書き、英語がわかる人向けなら、表面に "five" と書いておけば、玉の内容は概念 5 だとわかることになる。
以上の概念 5 と日本語「五」と英語 "five" の関係は、次のような循環として描ける。
"five" ⇄ 「 五」
↖↘︎ ↗︎↙︎
5
単語帳で英語を覚えようとする人は、英語の"five" が日本語「五」に対応すること(図の⇄)を覚えようとするだろう。たしかに、日本人にとって「五」は、すでに 概念 5 と結びついているから、間接的に 英語の"five" は 概念 5 と結びつく。だから、英語の "five" がわかった気持ちになれるのである。
だが、これだと、"five" の概念内容が 5 であることを、「五」という日本語を介して間接的に理解していることになる。"five" を「五」に変換できれば、英語がわかるかもしれないが、それで英語が直接話せるわけではない。
日本の大学入試や TOEIC は、 <ほんとうにその人が英語ができるかどうか>がテストできるとは限らないといわれるのは、これが理由である。受験者は内心、英語を日本語に訳し、日本語で答えているだけかもしれないからである。そういう人が、英語を話せるとは限らない。
日本語に訳せても、英語が直接わかっているとは限らないし、その人が英語が話せるとは限らないのである。
では、どうするか。
"five" の概念 5 を理解するには、英和辞典や単語帳をつかって、"five" と「五」を対応させるのが便利だから、そこから始めればよい。ここまでは従来どおり。
ただし、日本語の「五」は、あくまでも補助手段とみなすことが大事だ。
「五」を補助手段として "five" の概念 5 がわかったら、"five"という表記・発音と、 5 という概念の結びつき(上図の ↖↘︎)に集中力を向け、記憶に刻みつけるのである。
そうするうちに、媒介となった日本語「五」のイメージは薄れていく。終いには、「五」と "five" の対応関係(上図の⇄)を忘れてしまうかもしれない。
それでも大丈夫。われわれは日本語のネイティブだから、"five" の概念 5 に対応する日本語「五」は、いつでも引き出せる(上図の↗︎↙︎)。そういう余裕のある気持ちが、英語への道(上図の ↖↘︎)を開いてくれる。
むしろ、英語と日本語の対応関係(上図の⇄)は、いったんわかったら、あとは忘れるように努力しよう。すると、概念 5 が心に浮かんだとき、 "five" と直接表現できる。"five "を見たら、概念 5 が直接わかる(上図の ↖↘︎ が力強く貫通する)。
これが、<英語ができる>ということである。
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