アメリカ英語とイギリス英語 ほんとうの違いに目を向ける
アメリカ英語とイギリス英語の違いを説明した本がけっこうあるが、発音、つづり、語彙の違いの話に終始しているものが多い。
だが、表現の違いもさることながら、認識の違いにも目を向ける必要があるのではないか。
たとえば、アニータ・ロディックの自伝『ボディ・アンド・ソウル』(The Japan Times)に、イギリス生まれのボディショップがアメリカに進出したときのことについて、次のように書いてある。
「私たちは従業員採用で異常なほど多くのミスをおかし、英語と米語の文化的相違をあまりに軽く考えすぎていました。
この二カ国間で交わされる言葉は、お互い慣れ親しんだ言葉のように聞こえるかもしれませんが、その言わんとするところは大きく異なるのです。」135-136頁。
たしかに言語は同種だが、認識の内容が違う。表層で交わされる言葉は氷山の一角にすぎず、水面下の真意は違っている。
以前、あるアメリカの高名な学者と話したときのこと。自分の本がロンドンで出版されたのはよいが、それが奇妙な装丁(表紙のデザインなど)になっていたので驚いたと苦笑していた。
「イギリス人のやることは、いつも理解に苦しむよ」
同じ英語の世界なので、アメリカとイギリスはツーカーではないかと漠然とイメージしていた私には、ちょっと意外な言葉だった(ちなみに、彼の先祖はイギリスからの移民だそうだ)。
アニータさんの実感といい、学者の苦笑といい、言葉というものは、立体的で豊かなアプローチをしないといけない。そう思わせる話だ。
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