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広島に原爆を投下した爆撃機 「エノラ・ゲイ the Enola Gay」 その名は alone から?

テニアン島を離陸したアメリカのB29 エノラ・ゲイ the Enola Gay  が広島に原爆が投下してから、今年で70年余り。

第二次世界大戦の終結から半世紀にあたる1995年、エノラ・ゲイがアメリカのスミソニアン航空宇宙博物館に展示されることになり、その展示企画をめぐってアメリカで論争が起こったことがある。

アメリカが原爆を落とすに至った経緯を十分説明せず、日本の犠牲が強調されすぎている、という批判が元軍人や議員から出て、展示内容は大幅に修正された。

戦争について考えるとき、どうしても人は自国の立場から見るが、それだけだと歴史認識は深まりにくい。けっきょくスミソニアンの展示では、「敵」や第三者にしてみれば同じ原爆がどう見えたかを考える情報も提供されたようだ。この特別展示は、入場者400万人という記録をつくった。

最近のTIME に、「その後のエノラ・ゲイ」を取材した記事がのっている。



エノラ・ゲイは旅客機のように巨大な爆撃機だが、原爆は重いので、投下の瞬間、エノラ・ゲイはジャンプした。乗組員の回想によると、

「操縦士はすぐに機首を180度回転させ、急いで投下地点を離れた。600メートルほど離れたところで、原爆は爆発した。飛行機から見えたのは、明るい閃光だけだった。すぐに最初のショック波がやってきて、機体はピシピシと音をたてた」

The Enola Gay is a B-29 Superfortress, which pilot Paul Tibbets named after his mother, and which had been stripped of everything but the necessities, so as to be thousands of pounds lighter than an ordinary plane of that make. In 1945, it was given an important task. “It was just like any other mission: some people are reading books, some are taking naps. When the bomb left the airplane, the plane jumped because you released 10,000 lbs.,” Theodore Van Kirk, the plane’s navigator, later recalled. “Immediately [Tibbets] took the airplane to a 180° turn. We lost 2,000 ft. on the turn and ran away as fast as we could. Then it exploded. All we saw in the airplane was a bright flash. Shortly after that, the first shock wave hit us, and the plane snapped all over.”

エノラ・ゲイという名前は、パイロットの母親の名前だったというが、 Enola という語を辞書で調べてみて、おっと思った。

Enola は女性名だが、これは alone を逆からつづったものかもしれない、というのである(研究社『新英和大辞典』)。この子の人生が寂しく alone ならないように、という親の願いの表れかもしれない。

原爆投下については、長いあいだ賛否の論争がつづいてきた。

人間たちの賛否の目にさらされて、ひょっとすると Enola Gay の巨体は、70年以上も孤独 alone だったのかもしれない。


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