「訳してしまう」衝動をなんとかしたい
私が接している英語専攻の大学生。彼らはTOEIC の試験をたびたび受けるように指示されている。
先日、雑談していたら、「今日、午後からTOEIC を受けるのだけれど、120分もあって、最後のほうで疲れてしまうので、点数が伸びない」という男子学生がいた。
「あっ」と思いついて、まわりの数人にも聞いてみた。
「ひょっとして、英語を日本語に訳して理解してる?」
ひとりの女子学生が、「読んでいて、わかりにくいときだけ日本語にする」と答えたほかは、「長文はかならず訳している」「だいたい訳している」という答え。
若い人の多くが、ほとんど衝動的に英語を「訳そう」としている。それを再確認して、あらためてちょっとショックだった。
同時通訳の持続時間は、15分程度だと聞いたことがある。それくらいで休憩しないと、集中力が落ちる。TOEIC は同時通訳ではないが、120分ものあいだ、英語を日本語に訳して問題を解いていたのでは、疲れるのもよくわかる。
「訳す」のではなく、英語は英語のままわかったり話せたりするほうがいい。それは誰もが思うことだろう。
問題は、それにはどうしたらいいか、だ。
その方法を、私はいま考えているのだが、簡単に実行できるひとつの便法は、「英文を訳すのではなく、日本語で説明する」という気持ちをもつこと。
「訳そう」と思うと、一語ずつ日本語に置き換える感覚が強くなり、日本語に固執しやすい。「意味を説明しよう」と思うと自然に日本語から自由になり、英語じたいの意味に近づくことができる。
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