同時通訳の草分け・國弘正雄氏の嘆き 英語をやるなら、自分の分野を決める
日英同時通訳の草分けで、格調ある”クニヒロ・イングリッシュ”の使い手として知られた國弘正雄氏(1930-2014)。
氏の著書の一冊に、『怒濤の入試英作文 基礎20題』(たちばな出版、2003年)という変わり種がある。
英文和訳の答案例の添削を通じて、英語とはどういうものかを考えさせる本。
この本の「はじめに」で、國弘氏は次のように正直な気持ちを書いている。
「英語教育に携わる人びとにとって、なにが自信を持ちえぬ難題といって、和文英訳にすぎるものはない。
われわれにとって英語はしょせんは外国語、子守唄を聞いて育った母語ではない、だからどこまでいっても、隔靴掻痒(かっかそうよう)の憾(うら)みは残る。
不肖、小生も英語を母語とする国に長年を過し、教育テレビやラジオ番組で、斬れば血の出る英語を使うべく努力はしてきたが、和文英訳ないしは英作文となると、本当のところは自信がない。
われわれに可能なのは、多くの英文を読み聞き、英借文に邁進するのがせいぜいである。
でも外国人の日本語学習者にとって、てにをは、つまりは助詞の使い方がむずかしく、敬語をキチッと使いこなすことに難渋するように、たとえば冠詞や前置詞、それに名詞が単数形か複数形かなどという点になると、日暮れて道遠しの思いが離れない。
一生が修行だと思い知らされては、トボトボと重い足取りを進めるばかりである。」
(國弘正雄『怒濤の入試英作文 基礎20題』たちばな出版、2003年、3頁)
この「道遠し」問題について、私は次のようなことを思う。
◯ 日本語で育ったわれわれとしては、なんでも英語で言えるようになる、書けるようになろうとか、まずは道順くらい教えられなくては... というような発想はとらないほうがよい。
われわれは日本語でも、なんでも言える、書けるわけではない。
道順を教えるといった日常的な事柄も、非ネイティブは聞いたり表現したりする経験をもちにくいし、たとえそういうことが表現できたとしても、文化的に高い内容というわけでもない。
むしろ自分の関心のある分野を特定して、その分野で着実に向上していくのがよい。
道順のようななにげない事柄の表現は、そのかたわらで適宜覚えていけばすむことである。
道順が言える、ホテルで苦情が言える、英語で日記が書ける、それが私のめざす分野だ、というなら、それを極めればよい。
自分の目標を特定する。
これが外国語を楽しみながら上達する実際的なやり方である。
◯ それにしても、上記の國弘氏の文にあるように、冠詞、前置詞、名詞が単数形か複数形かといったことについて、われわれ非ネイティブが自分なりの自信をもって話したり書けたりできる文法の確立が急務である。
学校で習う「英文法」は、本質的には実際例を、外見や機能によって整理しただけの、「昆虫採集」のようなもので、あれでは不十分である。
いまは、生物を成立させている仕組みそのものたる DNA 研究の時代である。そういう時代にふさわしい、本質をついた英文法がない。
ひとつの対象認識からはじまって、英文という表現を成立させるまでのプロセスを、誰でも追体験できる方法が必要なのだ。
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