英語の未来概念 内容はあるが特有の形式はない
英語には「現在形」「過去形」はあるが、「未来形」はないー このごろ、そういう説明がネットや教室で流布するようになった。
たしかに、英語の動詞の形をみると、たとえば love , loved のように、現在形と過去形はあるが、未来形はない。「未来」と思われがちな will も現在形。だから、英語に未来形はないことになる(ちなみに will の概念は、主語の動態にかんする話し手の現在の確信である。そこから、主語の意志についての推測や、主語の未来の行為の予測という意味が派生する)。
では、日本語に未来形があるかというと、これも疑問である。「〜でしょう」といっても、過去や現在についての推測だったりする。日本語にも、未来に特有の動詞とか活用形はなさそうだ。
しかし、英語でも日本語でも、未来形がないからといって未来のことが語れないということはない。
未来を表すための特別の形はないが、未来の概念はあるし、未来の内容も語れる。これはいったいどういうことなのだろう。
それは、意識の世界では現在や過去の事象は客観的で確定的に感じられるので定型化した表現形式が発達しやすいが、未来の事象は不確定性が強く、客観的・確定的な形式で述べるのははばかられる。そのため、未来を表現する特有の形式は発達しにくいからである。
じっさい、未来を表現する特有の形式は、なくても間に合う。英語なら、「主語の動態についての話し手の現在の確信 will 」とか「主語の動態について話し手が現在感じる可能性 can」といった概念を使うことで、未来の意味は示唆できる。
未来の概念はあるが、未来に特有の形式はなく、それでも不便はない。未来にかんする人間の意識の不確定性のゆえに、そうなっている言語はかなり多いだろう。
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