見出し画像

言語を形態と機能でとらえる悪いクセ 町田健『言語が生まれるとき・死ぬとき』

町田健『言語が生まれるとき・死ぬとき』(大修館書店、2001年)

言語が生まれてから死ぬまでのプロセス、そして言語が存在している間にとる構造について、啓蒙的にまとめた本。

いくつかメモしておきたい。

■言語は「死」を運命づけられているか?

生きている言語は、社会の変化に応じて変化する。変化しない言語は役に立たなくなり、使う人がいなくなって死んでいく。そう本書は指摘する。

ただ、次の主張は極論である。

「個別の言語は、生まれたときから死ぬべき運命を背負っているものなのです」18-19頁

これはむしろ、変化しながら生き延びるのが言語というものだが、担い手を消失すると死ぬことがある、というべきだろう。

ヘブライ語のように、イスラエル国家の公用語になり、古代からよみがえった例もある。


■言語は機能で定義できるか?

本書は言語を機能の面からとらえている。

そのことは、言語は伝達という「機能」をもつ「手段」だと、何度も述べているところにあらわれている。

「言語が事柄を伝達する手段だという疑いえない前提」iv頁
「言語本来の目的であり、記号というものの本質である『伝達』という機能」28頁
「人間の言語は、... 事柄を同じ社会集団に属する他の人間に効果的に伝達するための手段です」92頁

では、その機能はなにを対象にしてはたらくか。

本書は、言語の表現対象とは「事柄」のことだとくりかえし述べているが、その「事柄」とは何のことかという問題には、踏み込んでいない。 iv、92、96頁

このように、対象じたいを考察するよりも機能を観察することで定義に代えようとする態度は、現代の講壇的学問に深く根を張っている。

だが、たとえば「人や物を運ぶもの」という機能だけでは、車は定義できない。機能(現象)だけでなく、それを支える構造(本質)を明らかにする必要がある。

そして次にみるように、本書にも言語の構造をさぐった部分がある。


■分節化した記号という構造理解

一般に、あるものの機能を分析するには、目に見える形態に注目することになる。

言語を成立させているものは、有限の形態から無限の意味をつくる「分節」の原理だと本書はいう。56、60頁

分節の無限性には、二面がある。外への無限、すなわち記号要素(形態)が分節化しているがゆえに、その組み合わせが無数に可能なこと、そして内への無限、すなわち文のなかに下位要素を組み入れて、複雑に階層化できること、である。

分節化するには単位化が必要で、この分節化、単位化が言語の特徴である。絵画には、「単位のようなものがない」98頁。 動物が使う記号では、記号を組み合わせたり階層化することが(あまり)ない。97頁

以上は、<形態がもつ機能>という観点からみた言語の構造を、分節化、単位化という原理から洞察した部分で、鋭いところがある。

■規範としての概念について

ところが、形態でも機能でもない概念の問題になると、本書の記述は不明瞭になる。

次の文意は、わかりにくい。

「記号の意味を概念と呼ぶことにするならば、記号に対応する事柄の集合を[人間が]形成する能力があるということは、事柄の集合をもとにして、それに対応する概念を作り上げる能力をもっているということと同じだと考えてよいでしょう」54頁

他の部分にも、「概念は記号の意味」105頁 とあるが、「事柄」から「概念」=「記号の意味」へとつなげる著者の論理は不透明のように感じられる。

私が注目したのは、主語と主体のちがいについての著者の指摘である。

「名詞の意味役割というのは、だいたいは主語とか目的語のようなものだとお考えになって差しつかえありませんが、本当は別のものです。ですから、一応は区別しておくために、『主語』『目的語』ではなくて『主体』『客体』と呼ぶことにしておきます」66頁

「主語」とは、語という形態が「動詞の形を決める働きをする」という機能を指すが、「主体」という場合、それは「主語」と同じではない。66頁

ここには、形態や機能とはちがう、「主体」という概念についての思考がうかがえる。

ところがその直後、著者はふたたび、「名詞」という形態がもつ機能=「意味役割」から出発する思考に帰ってしまう。

「名詞が事柄の中でもつ意味役割は、主体と客体に限られるわけではなくて、場所、時間、道具、目的などたくさんの種類がありうるのです」66頁

以下は私の考えだが、「主体」などの概念は、たんに「記号の意味」ではなく、社会的に共有された規範(それにしたがって表現すれば、他者と考えが共有できるルール)である。

概念には、対象を基体と属性からなる実体ととらえる「体」概念と、動態、状態など体のあり方をとらえる「態」概念がある。and のように、概念どうしを平等に結びつける概念もある。

さらに、概念を階層化するための概念もある。これは助詞のように目に見える形態をとる場合もあれば、俳句の韻律のように、語という形態をとらず、語を整序する規範=概念そのものであることもある。

こうした<概念の整序・階層化のための概念>に助けられて、それぞれの概念が文のなかで「役割」(機能)を果たす。

このように、概念という規範が形態と機能を規定するのだが、本書には、概念を言語の規範とみなす態度が希薄である。

これはおそらく、本書がソシュールにならって、能記(音)と所記(意味)の「結合」 の「恣意性」を強調したために 27-28頁、能記と所記を結合する規範としての概念を、著者が認めたくないからだろう。

...

社会のなかで一人ずつ異なる心をもつ存在であるヒトは、私的な意識を社会的に理解される形式で表現しなければ生きていけない。<私的かつ社会的>という矛盾した要請を解決する表現形式として、言語は生まれた。

言語では、表現態(音声・文字)と話し手の認識内容が、ヒトが共有する社会的規範=概念によって強固に結びつけられているので、社会の成員の誰もが言語の意味を理解できる。

言語発生の歴史は、ヒトという生物が生まれるプロセスそのものである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?