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英語の発音は個人の選択

山崎真稔(まさとし)『オーストラリアとニュージーランドの英語』(玉川大学出版部、2009年)

オーストラリア英語の世界では、米英の英語をもとにしたIPA(国際音素表記アルファベット。日本で発売されている英和辞典はこれに準拠している)にたいして疑問が起っていることを紹介している。

そして、日本でも新しい発想が必要だと提言している。

筆者によれば、日本人が英語を話すとき、母音は7つ言えればよい。

/i e a ae o u 逆さまe/

このなかで日本語と大きく違うのは/ae/と/逆さまe/("schwa"と呼ばれる記号)の2個だけなので、この「2音の獲得に時間とエネルギーを集中させ」ればよく、それで「問題なく国際的にも通用する」とする。93頁。

その結果、

「多くの母音について日本語の音価を用いてよいとしているので『日本語なまり』は残る。しかし意味伝達にとってはまったく問題にならない。多少の『日本語なまり』は日本英語の個性として、日本人のアイデンティティの主張として、むしろ積極的に打ち出すべき特徴と考える。」94頁。

こうした「日本式英語」の提言に同感する人も多いと思う。どう考えればいいか。

私が思うに、外国語の発音をどう習得するかは、「みんながこうするべき」という唯一の正解を求めるようなテーマではないのではないか。

「日本英語の個性」とか「日本人のアイデンティティの主張」として英語の発音をとらえるのもひとつの立場だが、これはひとつの立場であって、みんながそう考えないといけないという理由もない。

日本人であることは、とくに外国人に対するときは重要な要素になるが、言語は個人的なものでもある。日本語で育ったわれわれの大半が「日本語なまり」になるとして、それを是とするか、変えたいと思うかは、個人の問題である。

本書のように、「日本語的発音でよい」と主張するのもひとつの立場だから、それに共感する人は、そうすればよい。米英的なものがよいと思う人は、そうすればよい。発音をどうするかなど、とくに考えないという人は、そうすればよい。

ある状況のなかでそれぞれの人が英語をつかったとき、どんなアイデンティティを主張したいか、相手にどんな印象を与えるかは、基本的にはその人じしんの問題である。

本書のような、「私はこう思う、こうしたい」という意見表明を、私は歓迎する。しかし、「みんなこうすべき」という sweeping な主張には、私は首をかしげる。


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