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「お稽古」としての英語 岡倉由三郎の発想

岡倉由三郎(おかくら・よしさぶろう、1869‐1936)は、日本屈指のバイリンガル・岡倉天心の弟で、昭和初期から長年、ラジオ英語講座の講師をつとめた。日本の英語教育史に有名な人物である。

その岡倉由三郎が1911年に書いた、次のような文章がある。

...

たとえば、長男は中学で 5年間英語を学び、次女は学校で裁縫を 5年間「稽古」したとしよう。

次女は着物が縫えるようになる。羽織袴の仕立てもかなりできるだろう。

「5年の稽古は確かに相当の効果を収めて居る」

ところが長男の方は、5年たっても

「普通な英書も読めず、卑近な英文も書けず、5年間の修業は殆ど何ら纏(まと)まったる形跡を遺(のこ)」

していないであろう。

この「珍しく無い事」こそ、よくよく考えてみるべき「屈強の例証」である。

こうした事態を改善するには、英語の「自宅自修を多くやらせる外、名案の無い」ことだ。

(岡倉由三郎のエッセイ。『英語教育』1911年所収。斎藤兆史『日本人と英語 もうひとつの英語百年史』研究社、2007年、49,51頁より)

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裁縫は、教室で教わったことを自分でやってみては成果を確認し、師匠にみてもらうという作業の反復である。「自宅自習」の時間もずいぶんあるだろう。そして、自分で裁縫した着物には実用性があり、ファッション・センスも問われる。つまり、やりがいがある。

裁縫のお稽古のようにやれば、英語は身につく。いや、裁縫のお稽古のようにやらなければ、英語は身につかない。

これが岡倉由三郎の言いたかったことであろう。



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