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日本の英語教育は100年前にフリーズした

明治維新から半世紀ほどたったころ(1910年代。明治末から大正時代初期)、<日本の英語>の基本ができあがった。

明治のはじめ、大学は教科書も授業も外国語(主に英語)だった。明治も終りになると、英語は日本人教師が日本語で説明するようになった。

すると、学生の英語力が低下していると嘆かれるようになった。

こうした状況について夏目漱石は、外国語を使わずに勉学ができることは独立国として必要なことであり、英語力の低下は「至当」(しごく当然)であって、あらゆる学問を英語で勉強した自分のような時代のほうが「一種の屈辱」なのであり、それは「英国の属国印度」のようなものだったと述べている(夏目漱石「語学養成法」『学生』1911年。斎藤兆史『日本人と英語 もうひとつの英語百年史』(研究社、2007年、47頁より)

英語教育の日本化にともなう「英語力の低下」という嘆き。それに対する英語帝国主義論(外国語のむやみな浸透は植民地化だという主張)からの反論。

このせめぎあいは、100年前にすでに成立していたことになる。

100年前に成立したもうひとつの状況は、大学受験を通して英語が大衆化したこと、したがってその反面として、英語の研究が専門化・細分化したことである。

英語の大衆化を象徴したのは、大正元年(1912年)、山崎貞の受験参考書『英文解釈研究』(通称「やまてい」)の出版。このころ大学受験が一般化し、英語は試験科目の代表的存在になった。この状況に対応して、「やまてい」という受験参考書の定番が登場したわけである。こうした定番の登場は、いわゆる学校英文法の全国的普及を象徴している。

他方で、英語研究は専門化・細分化した。その象徴は、「やまてい」と同じ大正元年(1912年)に出版された市河三喜(いちかわ・さんき)の『英文法研究』。この本は" such an one "のような普通の文法に合致しない実例を広く集めて分析した画期的なもので、本格的な英語研究者ならこのような実際の例を細かく集める作業(記述文法)に専念すべきだという意識を確立した作品といわれる。

斎藤兆史氏は、市河のこの本の登場によって、学校文法あるいは学習英文法の構築は英文法学者の関心から外れていくことになる」(前掲書、60頁)

と述べている。

中高で教える大衆的な文法は「やまてい」のような受験参考書にまかせておき、大学の研究者はより細分化された現象を相手にするものだ、という<常識>が、100年前に始まったのだ。

これで「日本人の英語」の疑問がかなり解けた。

中高の先生は多忙な校務の合間に100年前の文法を教える。そして大学の教員は100年前の文法しか知らない学生相手に授業をこなし、あとは自分の細分化された研究に忙しい。

このシステムは、100年前に原形ができ、いまも変わっていないし、これから変わる見込みもない。

こうして、日本人が学ぶ英文法を改善する道は、閉ざされたままである。


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