訳せても a と the はわかるようにならない
ある英語の本の翻訳をすすめている。すばらしくきれいな英文なので、感心しながら訳しているが、英語に現れる a(n), - s, the という冠詞類について、私の感想を書いておきたい。
ひとつは、 a(n), - s, the は、日本語にするとき、ついつい存在を無視しやすいこと。冠詞類をいちいち気にしていたら日本語にならない場合も多い。
教室で英語を日本語に「訳す」と、 a(n), - s, the を無視しやすいが、無理もないことだ。
もうひとつは、a(n), - s, the は、英語が成立するのになくてはならない要素だということである。
たとえば、この本の「まえがき」のタイトルは、
The Evolution of an Inquiry
となっている。
なぜ the とa(n) がここにあるのだろう。
inquiry(探求)は対象によっていろいろなやリ方があるし、時間的な行為なので、始めと終わりがあることも多い。つまり an inquiry とは、「一種の、一回分の探求」の意である。
そして、どの探求であれ、それがもつ evolution (展開)は、他にはない唯一の側面があるはずだから、the evolution となる。the によって、このフレーズは締まりのある表現となり、力強く自立している。
英語がもつこうしたニュアンスを日本語に移し替えることはむずかしい。この場合、私が選んだ訳は、「ある探求の歩み」であった。
それにしても、「どう日本語にするか」ばかりに気をとられると、冠詞のような、いかにも英語らしいもののニュアンスが永久に理解できない。そういうことにもなりかねない。
英語を英語として理解することと、それを日本語にすることは、けっして同じではない。
英語の理解と翻訳は、たがいに関係はあるが別のことである。
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