翻訳大国・日本の有利と不利
日本の文化にとって、「翻訳」は大事な要素だ。
外国の文献を翻訳する作業を通して、近代日本語は作られ洗練された。いまの口語体や書き言葉は、四迷、逍遥、鴎外、漱石のような西洋語の読める文学者が先導した。
外国語が読める日本人が、外国の文献をさかんに邦訳したことによって、外国の学術文化がいちはやく受容され、急速に普及した。翻訳は日本人の外国語習得の労力を軽減し、日本が外国の直接の文化的植民地となるのを防いだ。
結果として、日本は「翻訳大国」となった。日本のように外国の主要な古典や文学のほとんどが翻訳で読める国は少ないと聞いたことがある。
この「翻訳大国」には、マイナス面もあった。
高度な文化活動や最新技術の習得が翻訳に頼っておこなえるため、とくにオーラル面に習熟する必要が少なかった。そのためわれわれは、いまも聞く・話すの面でハンディを負っている。
また、あらゆるものが日本語に翻訳される一方、日本の文献は外国語にあまり翻訳されないため、「翻訳」とは、実質的に日本の一方的「受容」であることが多かった。
江戸の漢文訓読が日本文化の骨格のひとつをつくったとすれば、近代の翻訳は近代日本文化の形成と成長を実現した。
同時に翻訳は、外国文化との直接の交流をブロックし、外国からみた日本をブラックボックス(中身の見えない箱)にする役割を果たした。
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