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私には私の声がある 英語の発音が<ものまね>で終わるのはもったいない

中津燎子『なんで英語やるの?』(文春文庫、2000年、初版1974年)

大宅ノンフィクション賞をとったベストセラー。

米軍が日本を占領した時代に英語で仕事をし、アメリカ在住後日本の東北地方にもどってきた筆者が、「うちの子どもに英語を教えて」という近所の人の要望がきっかけで、悪戦苦闘しながら有名な英語教師になっていく実話。

著者は、呉で駐留米軍の電話交換手をしていたとき、日系二世のJ. 城田氏に発音の特訓を受けた。

このときの話が、じつにいい。

J・城田氏は次のように言ったという。

「あなたは私の英語のまねをするから出来ないのです。おうむのものまねには限度があるのです。あなた自身の英語を発見して下さい。

まねた英語はほんものではないから、ほんものの価値はあたえられません。ものまね英語を喋るより自分の国の言葉を堂々と喋るべきです。」38頁(太字は引用者)

これに、中津氏はこう反応する。

「半ばけんか腰で数回つづけるうちに、ふしぎな事に何だかわかって来た。要するに彼の発音をそのまままねようとするため、私は自分本来の声や、舌の動き方に関しては案外無神経だった。…

『ああ、私にも私の声があったんだわ』

とはじめて気づいて、自分を研究し始めた時から私はどんどん進んでいった。」38-39頁(太字は引用者)

ここには深い真実がある。

はじめはものまねでも、目標は<自分自身の声をつくる>ことにある。

声はたんなる「発音」ではない。「私には私の声がある」という確信が発音に芯を与え、伝える内容に信頼性を与える。





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